「崖っぷちに立ってもいい。でも、そこから一歩踏み外さないで」――俳優・安達祐実が波乱の人生を経てつかんだ幸せ
子育てと仕事の両立はいつも目の前にある課題だ。作品のオファーを待ち、決まれば撮影スケジュールに合わせて動くため、自分のペースで働くのは難しい。 「この職業は、次にいつチャンスが回ってくるか分からない。やりたい仕事が同時に来たら、やれるだけやってしまいます。なのでちょっと立て込んでくると、『ママ、最近忙しすぎじゃない?』と言われたりするんですけど、『でも、生活するためにはママが働かないと』と言ったら、『どうぞどうぞ働いてください』って(笑)。なるべくいい背中を見せたいですね」 一緒にいられる時間は惜しみなく愛情を注ぐと決めている。 「子どもたちは選んで私のところに生まれてきたわけじゃなく、私が勝手に産み落としたわけだから。このママのところに生まれてきてよかったと思えるように生活するのは当たり前だと思っていて。いつだって、安心させてあげたいですね。愛されていると実感しながら生きていってほしい。何があっても、いつでも、私は愛してるんだということだけは伝えていきたい。愛してるとか大好きとか、いつも言っていますね」
一大ブームの後の低迷 「火の車」だった20代後半
「こないだ、上の子が下の子に恋愛相談をしているのが聞こえたんです。上の子が『どうしたら好きになってもらえるのかな』と聞いたら、『優しくすればいいんだよ。例えばゴミが落ちてたら拾うとか、そういう普段の行いを見ててくれる人がいるから』って弟がお姉ちゃんに教えていました(笑)。私が今の娘くらいの年だった頃のことも聞かれるんですけど、あまりにも環境が違うので全然参考にならないと言われて」 芸能界デビューは2歳。思春期には学校よりも仕事のことで頭がいっぱいだった。 「精神が仕事に支配されている感じで、プライベートは二の次でしたね。私が生きてこなかった10代を娘が生きていて、見ていてすごく楽しいです。普通に学校に通うってこんな感じなんだ、とか。学校の体育祭を毎年見に行くのが楽しみでした。一生懸命やっていて、青春だなって」 社会現象になった主演ドラマ『家なき子』がスタートしたのは1994年、12歳の頃だ。暴力的なシーンも多いシリアスなドラマだったが、明るい現場で撮影は楽しかったと振り返る。一方で学校にはなじめず、体操着を捨てられたりするなど、いじめに遭っていた。 「学校に自分の居場所はないけれど、仕事場にはある。仕事に救われていましたね。中学生の頃には、俳優として生きていこうと思っていました」