「消滅」が危ぶまれる町で生活できるか――地方移住したシングルマザーが目指す自立 #令和に働く
やがて消滅するおそれがある「消滅可能性自治体」が公表され、地方を揺るがしたのは2014年。北海道の市町村の65%以上が、消滅する可能性があるとされる。2021年、当時そのひとつとされていた北海道厚真町に、シングルマザーの渡部真子さん(37)が4歳の娘とともに移り住んだ(2024年現在、厚真町は「消滅可能性自治体」から脱却)。厚真町が始めた「協働型」地域おこし協力隊に参加するためである。林業に3年間携わり、今年の5月末、協力隊の任期が終了。隊の活動費もなくなり、周辺に頼れる親族もいないが、渡部さんは厚真町で生活し続けることに決めた。現在は林業に加え、地元名産のハスカップ畑でも働く。高齢化と産業の担い手不足が深刻化するこの町に、なぜ残ることにしたのか。どう子どもを育てていくのか。渡部さんの奮闘を追うとともに、地域社会の未来を考える。
◆「人が1人増えれば、影響は大きい」
北海道の南西部、苫小牧市に隣接する厚真町。面積の7割が森林で、厚真川の豊かな水により明治の開拓期から稲作が行われてきた。ハスカップの栽培でも知られる。人口は1958年の10579人をピークに減少が続き、2024年は4256人だ。
町は人口減少と高齢化の対策として、2011年に地域おこし協力隊の取り組みを始めた。地域おこし協力隊は、人口減少や高齢化が急速に進む地方に地域外から一定期間移住してもらい、地域社会の新たな担い手として活動してもらう事業のことだ。
厚真町産業経済課の宮久史さんはこう語る。
「若い世代の人が地域にいることで、地域の未来の話をしやすいです。一緒に地域を作る仲間を増やして、一緒に町の未来を作ろうと呼びかけています」
総務省によると、厚真町は道内の自治体の中では2番目に多くの地域おこし協力隊を受け入れている。これまでに93人に委託し、家族も含め169人が移住。任期が切れた退任者のうち34人、家族も含め86人が町に定住している。
厚真町のまちづくり推進課の小松美香さんは言う。
「必ずしも定住してもらうことだけが目標ではありませんが、定住は自分たちの取り組みの成功の基準ではあります。大きな都市とは違い、人口が少ない厚真町では人が1人増えることで起きる影響は大きいのです」
2023年3月末までに退任した全国の隊員のうち、同一地域や同じ市町村に定住した人の割合は52%。およそ半数が退任後にその地域から離れている。衰退に歯止めが効かない地方にとっては、地域おこし協力隊にいかに定住してもらうかは重要な課題だ。
◆知らない街へ移り住む希望と不安
渡部真子さんが厚真町に「地域おこし協力隊」として移住してきたのは2021年。渡部さんは、当時4歳の娘を連れたシングルマザーだった。神奈川県川崎市出身で、東京の大学を卒業後、函館近郊の牧場で8年間働いていた。厚真町に移ることになったのは、同じ牧場で働いていた西埜将世(にしのまさとし)さん(43)が厚真町に移ったのがきっかけだ。西埜さんは町が募集した「起業型」地域おこし協力隊の枠組みを利用して「西埜馬搬(ばはん)」を設立。森で切った木を馬で運び出したり、馬で農地を耕したりしていた。
そのころ渡部さんは、ひとりで子育てをしながら「自分のやりたい仕事は何だろうか」と悩んでいた。かつての同僚だった西埜さんが森の中で馬や子どもたちと一緒に楽しそうに働く姿を見て、「自分もこんな仕事をしたい」と思ったという。
西埜さんに相談すると、厚真町で新しく始まった「協働型」地域おこし協力隊について教えられた。「協働型」では、人を雇う資金はない人が人手の必要な新しい事業を始めるにあたり、地域おこし協力隊の制度を活用する。渡部さんは西埜馬搬で西埜さんの右腕として働き、給料は地域おこし協力隊からもらう仕組みだ。
渡部さんは林業に全く関わったことがなかったが、馬の扱いには慣れていたため、すぐに厚真町にやってきた。西埜さんは、当時の渡部さんについてこう振り返る。
「わからないことだらけだったと思いますね。住む場所から、こういう仕事をしながら子どもを見て、家事をして。仕事との両立の大変さは、本人はあまり言わないけど」
一方、渡部さんは「不安よりは、やってみたいという思いが強かった」と言う。
「傍から見て、『子育てのこと、大丈夫なの?』って言われてもおかしくないなと思います。自分の好きなことをやると、きっと娘にとってもいいだろうと勝手に思い込んでいるところもありそうで」
子育てと仕事の両立への不安を抱えながら、住む家も見つからないうちに厚真町へやってきた。西埜さんの家の一角に親子で住みながら、現在も住んでいる町営住宅に引っ越せたのは、それから1カ月半後のことだった。
◆活動費がなくなっても、厚真町で暮らし続けると決意
渡部さんは、2024年5月末で地域おこし協力隊での3年の任期を終えた。その後も娘と一緒に厚真町で暮らし続けることにした。
「地域の人に、地域おこし協力隊の任期が終わると伝えると、『次はどこに行くの?』と必ず聞かれるんです。途中でやめてしまう人もいるし、住み続ける人が少ないんだと思います」
地域おこし協力隊の任期中に支払われていた月額25万円の給料はなくなった。西埜馬搬との雇用関係は継続するが、収入は減る。自分で稼がなくてはならない。厚真町に残った理由について、渡部さんはこう説明する。
「引っ越さないのは関係性ができてきたから。地域の人や仕事先の人との関係性もできてきて、このままこの関係性をもうちょっと育てたいというか、もっと深く入ってみたい」
林業だけでは収入が確保できなくなるのを見越して、渡部さんは3年前からハスカップ畑での仕事も始めていた。地元のハスカップ農園を営む女性からやらないかと声をかけられたことがきっかけだ。もともと農業に興味もあったので、誘われてすぐにやることを決めた。
厚真町役場の外壁には、「ハスカップ日本一」という大きな垂れ幕がかかっている。町にとっては誇りの産物だ。それでも、町のハスカップ農家は深刻な高齢化と後継者不足にあえいでいる。
佐藤ハスカップ農園の佐藤八重子さん(74)は、40年前から厚真町でハスカップを育ててきた。一緒に畑で働いている夫の功さん(82)は、足の痛みをこらえながらの畑仕事だ。「やっても、もう5年くらい。後継者に『誰かいないか』と声をかけても、なかなか見つからない」と八重子さんは話す。
ハスカップの楕円(だえん)形の実は、球体のブルーベリーの実と比べるとやや小ぶりだ。皮が柔らかいため、とり方を間違えるとすぐに傷がついてしまう。「ハスカップは作業が大変な上に、お金にならない」と言われるゆえんだ。「100キロとったところで40万円くらいにしかならないし、そもそも、今年は100キロもとれるかどうか」と渡部さんは苦笑いを浮かべる。
八重子さんを「師匠」として、渡部さんは佐藤ハスカップ農園の飛地で360株のハスカップを栽培している。「4年目でいろいろわかってきたと思ったのに、わからないことばかり」。3年間は八重子さんの教えに忠実に栽培していた渡部さんだが、今年から薬を使わない有機農法に挑戦し始めた。他の農園ではやっていない点に可能性を感じたのだ。八重子さんは「無農薬だと実が小さくて収量が上がらない」と心配しながらも、こう話す。
「人も植物も同じ。なんでも育てるのは難しい。自分が好きなようにやってみて、1年たってどうなったのかを見てほしい。真子ちゃんは一生懸命で、わからなければ聞くのはいいこと」
今年、渡部さんは有機農法で94キロのハスカップを収穫した。今、厚真町で子育てしながら慣れない仕事に挑戦する理由をこう考えている。
「やる人がいないところに助けになればいいなって。ハスカップ栽培は楽しいと思うから、これでお金になればいいなというのもあります。地域の人たちにも助けられてるなと思うし、八重ちゃんみたいにかわいがってくれる人がいる。そういうことが、ここにいたいな、いてもいいんだなと思える理由になっているかなと思います」
この町で新しいことに奮闘する姿を、娘に見てほしいという気持ちもある。
「もうやるしかないんだって。自分の力で生きていくことを実現したいし、それを娘にも見てほしい。そしたら、娘もいろんなことを乗り越えられる人になるんじゃないかなと思っています」
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本作品は【DOCS for SDGs】にも掲載されております。
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クレジット
監督・撮影・編集:山田裕一郎
プロデューサー :金川雄策・塚原沙耶
記事監修 :国分高史・塚原沙耶