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有名シェフの“不倫騒動”で揺らいだ村のレストラン その舞台裏で育んだ若きシェフと村民の絆#ydocs

森田雄司ドキュメンタリー作家

長野県最西北部、新潟との県境にある小谷(おたり)村。特別豪雪地帯に指定され、冬には3メートル以上の雪が積もることも珍しくない。スキー場にかつてのにぎわいはなく、およそ2700の村民の高齢化も進む。そんな過疎の村に2023年7月、ミシュランガイド東京で4年連続1つ星を獲得したレストラン「sio」の姉妹店「NAGANO」がオープンした。地域活性化の起爆剤にと、村役場が声をかけて始まったプロジェクト。ところが、オープンの1カ月前になって突如、暗雲が垂れこめる。運営会社の社長で、有名シェフの鳥羽周作氏の不倫疑惑が報じられたのだ。村には報道陣が押し寄せ、宣伝もままならない日々。そんな騒動の中、レストラン開店に全身全霊を傾けてきた若き料理長、白木聡さん(30)の奮闘を追った。

■古民家を1億2千万で改修 ミシュランの人気店が過疎の村へ

自然豊かな土地に佇むレストラン
自然豊かな土地に佇むレストラン

2023年4月。築140年超の古民家を1億2000万円かけて改修したレストランに、プロジェクトの関係者が顔をそろえた。白木さんをはじめ運営会社のチームと村役場職員、村民らの総勢約20人。これからの運営方針や地元食材の取り入れ方について話し合った。

「観光で生きている村ですが、今かなり厳しい状況です。田舎の人間なのでPRも下手なものですから、一つの起爆剤として村をアピールしてもらいたい」。村観光地域振興課の千国善之課長補佐がこう訴えると、農家の面々も「地元で採れる食材をぜひ使ってほしい」と話す。

料理長に任命された入社4年目の白木さんは、こうした話を聞きながら地元の期待をひしひしと感じた。

一番左が白木聡さん
一番左が白木聡さん

白木さんは長野県上田市の出身。高校卒業後すぐに上京したため、長野のことはよく知らない。ただ、いつかは料理で生まれ故郷の役に立ちたいとの思いを持っていた。「NAGANO」のスタッフが募集されるとすぐに飛びつき、移住を決めた。

白木さんはこの日、地元の関係者にこんな意気込みを披露した。「今まで村の中で当たり前に使われていた食材に僕たちのフィルターをかけ、新たな料理を生み出したい。村の魅力を僕たちが伝えていきたいと思っています。この土地に腰をすえて、村中の人々から慕われるような存在になりたい」

■地元にあった冷ややかな声 「古民家が泣く」

村民・猪股宣子さんに挨拶訪問する白木シェフたち
村民・猪股宣子さんに挨拶訪問する白木シェフたち

もっとも、関係者の期待とは裏腹に、当初は村民の中には冷ややかな声があった。「私たちみたいにここで生まれた人間でないと、執着心がないのではないか。こういう厳しい土地で商売をしていくのは、並大抵のものじゃない。どうせ辞めていくんだろう」。レストランとなった古民家に高校生のころまで住んでいた猪股宣子さん(73)は、出店の計画を聞いたとき、そう思ったという。

「NAGANO」のメニューは、ランチが3000円(今年6月から3850円)の和定食、ディナーが2万円のコース。この価格設定も、村民が冷ややかな態度を示した一因だった。

レストラン近くでペンションを経営する千国美晴さん(68)は「ミシュラン一つ星を取っているのはイタリアンですよね? でも、ここでやるのは和食。ちょっと違うんじゃない? 和食をやるには、やっぱりそれなりのお勉強をしていただかないと。それに、高いものだったら都会でいくらでもおいしいものが食べられる。単価が単価ですよ。それを満足させるのは大変。1回来て『なんだ』って言われたら、あの古民家が泣きます」と語っていた。観光事業の一環として集客に期待を寄せる村役場と、歴史ある古民家を大切に守り続けていきたい村民。白木さんが直面したその溝は、想像以上に深かった。

農家の畑で野菜を収穫する白木シェフ
農家の畑で野菜を収穫する白木シェフ

「ちょっとだけ心が折れそうになりました」という白木さんは、まずは村民から理解を得ることが最も重要だと思い直し、村中を回り始めた。宿泊施設や観光業者などを訪れ、顔を売った。食材も、できる限り村で採れる山菜や特産品を使うことにこだわった。

小谷村に昔から伝わる山菜の「小谷漬け」をメニューに取り入れるために、農家の相澤つたゑさん(90)のもとに足を運んだ時のことだ。相澤さんは「地味で教えるほどのものではないですよ。ただ自分たちが生きていくために塩漬けしているだけ」と控えめに語るだけ。こんな相澤さんに、白木さんは「村の食文化が当たり前だからその価値に気付きにくいですけど、僕らの料理を通して改めて魅力を知ってもらいたいです」と力を込めた。ほかにも小谷産のそば粉や山菜、特産品などを盛り込んだ7品を、村の人たちに教わりながら試作。食材を自前で調達できるようにするため、農家の協力を得てレストラン前に畑を耕し、野菜も作り始めた。

そんな白木さんの一生懸命な姿が、半信半疑だった村の人たちの心を打った。

村に移住して1カ月が過ぎた6月のある日。白木さんは、再び古民家の元所有者である猪股さんを訪ねた。「いま僕たちは村の人たちに料理や生活の知恵を教わったりしています。でも、逆に今度は僕らが料理で培った力を少しでも村のために還元したい。時間をかけて一緒にレストランつくっていきたい」。こんな覚悟を訴えた白木さんに、猪股さんはこう応えてくれた。「お願いします。ぜひ」

会社員として利益を目的に付き合うのではなく、1人の村の人間として関係を築いていきたい。こんな真っすぐな白木さんの姿勢が響いたのだろうか、少しずつ応援してくれる人が増えてきた。白木さんは「村民との溝が埋まり始めている」と手応えを感じていた。

大問題が起こったのは、そんな時だった。

■寝耳に水の不倫報道 開店直前に記者殺到

連日レストラン前で張り込む記者たち
連日レストラン前で張り込む記者たち

オープンをおよそ1カ月後に控えた6月7日。運営会社の社長である鳥羽周作氏の不倫疑惑が週刊誌で報じられたのだ。

相手が有名女優だったこともあり、疑惑は芸能ニュースを連日にぎわせた。影響はレストランにまで及ぶ。店には記者が殺到し、取材の電話が続いた。本来ならオープンに向けてメディアを通じたPRを想定していた時期だったが、料理とは関係のない問い合わせばかり。やがて、誹謗中傷や嫌がらせの手紙まで届くようになった。苦情は村役場にも寄せられた。

これ以上報道が過熱しないように、SNSなどでの開店の広報宣伝は控えざるを得なかった。その影響もあってか、予約数は伸び悩んだ。運営会社も報道の対応に追われていたのか、白木さんは数日、本社と連絡が取れずにいた。「予定通り7月にオープンできるのだろうか」との不安に襲われた。

やがて会社からその後の対応方針についての説明があり、オープンに向け全面的なサポート体制で臨むと連絡が入った。鳥羽氏からも迷惑をかけたことに対して謝罪があった。

地元も支えてくれた。村役場は「鳥羽さん個人ではなく、企業としてお付き合いしている。逆境を追い風に変えましょうよ」と白木さんにエールを送った。また、「NAGANO」に対して厳しい意見を持っていたペンション経営の千国美晴さんと夫の正幸さんも「色々なことを言う人がいるかもしれない。でも『あそこの連中はすごい』って言ってもらえるように頑張ろうよ」と声をかけてくれた。食材を仕入れている地元農家や生産者は、開店準備に追われるスタッフに次々と差し入れを届け、「負けるなよ!頑張って!」と激励した。

白木さんも、ようやく吹っ切れた。「タイミング的に戸惑いましたけど、ここに住んで料理をしているのは僕たち。今まで通り誠実に料理を作っていくだけです」

■ようやくこぎ着けた開店 客は来るのか?

ディナーコース料理
ディナーコース料理

オープン前日。社内試食会が行われた。緊張感が漂う厨房(ちゅうぼう)で調理する白木さん。しかし、料理を口にした会社幹部たちの表情は険しい。スープがぬるく、何度もやり直しを命じられる。白木さんはその後もペースをつかむことができず、満足した料理を提供できないまま試食会を終えた。

幹部からは「料理に対する愛情が感じられない。お前しかできないことをやるのがシェフだろ」と厳しい意見を突きつけられた。準備不足だった。それぞれの皿を提供する時間配分を見誤ったうえに、味の調整も未完成のままだった。

「一回一回全力投球をいかにできるか。全身全霊でやることが大事なのかなって思います」。シェフとしての経験はまだ浅く、自身の力を超える期待と責任との間で板挟みになっていた。深夜0時を過ぎた厨房で、白木さんはなおも料理に向き合った。

そして迎えたオープンの日。騒動の影響で客入りが心配されたが、ランチには県外からの来客もあり、16席はすべて埋まった。徹夜で味の調整をした白木さんの努力もあり、洗練された料理が厨房からテーブルに運ばれていく。小谷漬けの小鉢などが付いた3千円の鮭定食を味わった客は「3000円の価値はあります。本当に感動しました」と絶賛した。

ディナーのコースは、村のそば粉を使ったガレットや村で放牧された「小谷野豚」の生ハムなどを添えたラビオリなど全10皿。来店した地元客は、「食べ慣れている食材なのに、全然違うものに感じる。これからも応援していきます」と満足そうに語った。ただ、来客は2組にとどまり、目標には及ばなかった。報道の影響もあったのだろう。宣伝不足という課題が残った。

来店した猪股さんと千国夫妻に感謝を伝える白木シェフ
来店した猪股さんと千国夫妻に感謝を伝える白木シェフ

オープンから3日後、白木さんが待ちに待っていた客がやってきた。猪股さんと千国夫妻が来店したのだ。「一番来てもらいたかった人たちが来てくれてうれしいです!」。白木さんから笑顔があふれた。

自分の手を離れて3人のもとに運ばれていく料理を、白木さんは心配そうに見つめる。「小谷村の同じ仲間として、あそこはおいしいよって言ってもらえるようになったらいいんですけど……」。猪股さんが料理を口に運ぶ。「うん、おいしいですよ」。千国さんも「友達にもぜひ店に食べに来なさいよって言っておきます」と太鼓判を押した。白木さんは「うれしいです。僕たちの思いがちょっとでも伝わったらいいなって思って作らせていただきました」とほっとした様子だ。

猪股さんから思わぬ言葉をかけられたのは、この時だ。

「何度か会わせてもらってから(レストランができることが)良いお話かもしれないねって思えてきた。白木さんの人間性があったからですよ」

■冬場の集客に課題 地元とさらなる協力へ

囲炉裏を囲んで談笑する来客
囲炉裏を囲んで談笑する来客

2023年7月のオープンから2024年3月まで、訪れた客は約3000人。うち約4割は県外からだった。夏から秋にかけてはある程度の集客ができたが、冬は積雪によるアクセスの悪さから客足が遠のいてしまった。

白木さんは小谷村に赴任するまで、客入りに困らない人気店で勤務してきた。都市部から離れた場所での経営は、想像以上に厳しかった。味をみがくだけではなく、経営手法についても見直す必要が出てきた。これからに向け、地元村民の協力を得ながら、特産品の収穫や観光地ツアーなど地域の特色を活かした集客イベントを計画している。

地元へのサービスも欠かせない。通常よりも低価格で食事できる「村民割引」を設定。村民向けの料理教室を開いたり、地域のための奉仕活動を行ったりするなど、村の人たちとの交流を深めている。

2024年2月には、村と地元JAが共催した小谷漬けを使った料理の試食会にも協力した。小谷漬けを製造する山菜加工場は経営難にあったが、「NAGANO」考案の新レシピが新事業のきっかけとなり、増産につながったという。

■白木シェフの新たな挑戦 「必ず恩返しを」

料理と向き合う白木シェフ
料理と向き合う白木シェフ

思わぬ騒動に見舞われながらも新事業を軌道に乗せた白木さんは、この6月から新たな挑戦に乗り出す。「NAGANO」だけでなく、東京店舗のシェフを兼任することが決まったのだ。これまで「NAGANO」の売上目標を達成できず、自身の経営や料理に対する実力不足から焦りを感じていた。東京の店舗で先輩シェフや幹部の下で修行して、力をつけたいと決心した。また、料理は予約数が伸びなかったコース料理を6月から当面の間休止し、ランチとディナーは定食のみに変更してニーズを探ることにした。これまでの反省を活かして立て直しを図る狙いだ。

今年は東京での生活が中心となってしまうが、小谷村には定期的に通ってサポートを続けるつもりだ。いまは支えてくれた村の人たちを訪ね、自らの覚悟を説明している。

「レストランと村のために決めたことです。僕がもっと力をつけて、必ず集客を成功させて村に恩返しします」

【この動画・記事は、Yahoo!ニュース エキスパート ドキュメンタリーの企画支援記事です。クリエイターが発案した企画について、編集チームが一定の基準に基づく審査の上、取材費などを負担しているものです。この活動はドキュメンタリー制作者をサポート・応援する目的で行っています。】

クレジット

監督・撮影・編集・記事:森田雄司

プロデューサー    :前夷里枝

記事監修       :国分高史・飯田和樹

ドキュメンタリー作家

84年京都生まれ。京都精華大卒後、愛知・大阪の映像制作会社で7年間TVディレクターを務める。ケーブルTV、市政番組、YTV「情報ライブミヤネ屋」などを担当。14年から上京、映画制作スタッフとして国内からハリウッドの商業映画製作に参加。2020年独立し、フリーランスのカメラマン・ディレクターとしてNHK BS番組、「北欧、暮らしの道具店」などドキュメンタリー作品を手掛ける。23年4月よりミシュラン一つ星シェフを追った初監督作品「sio/100年続く、店のはじまり」が全国劇場公開。その他企業PVやライフワークとして数多くのドキュメンタリー制作を続けている。

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