ラグビーで二刀流はアウト?!異色の大学生トップリーグラガーマンの奮闘
高校、大学、社会人と順にキャリアを積み上げるのが通例の日本ラグビー界にあって、2016年、新しい波が起きている。 国内最高峰であるトップリーグのパナソニックで、筑波大に在学する山沢拓也がプレーしているのだ。 ラグビーワールドカップ日本大会は2019年。日本代表の大舞台での成功に向け、若手選手の高質な実戦経験が求められている。そんななか新しい道を行く22歳は、現在3連覇中の強豪にあって「いい経験をさせてもらっている」。ラグビー界を変えるきっかけになるか。 身長176センチ、体重81キロの体躯の山沢は、司令塔のスタンドオフとして10代の頃から才能を発揮してきた。プレッシャーを受けてミスをしやすいとされる相手守備網の近くで球をもらい、その勢いでトライラインを狙う。複数人のタックラーを寄せ付ければ、長距離のパスを発動…。本格的にラグビーを始めた埼玉の深谷高校では、1年時の全国大会から躍動した。 最初に「将来の日本代表のスタンドオフになれる」と見込んだ横田典之監督は、そのボディバランスとスキルの高さ、うまくいかなかったプレーがあればひたすら練習する気質にただただ感服した。 「山沢を高校3年間で完成させようなんて思わない。彼はそういうレベルの選手じゃない」 3年時には、何と日本代表候補にまで選ばれた。昨秋のワールドカップイングランド大会で3勝したエディー・ジョーンズヘッドコーチは、折に触れては山沢のスコッド入りを熱望していた。 ところが願いは叶わなかった。本人が度重なる怪我に泣いたからだ。進学した筑波大では、1、2年だった2014年、2度も左ひざのじん帯を痛めた。特に復活を間近に控えていた頃の2度目の故障には肩を落とした。 もっとも、その怪我が一大決心を後押しした。 生来のポテンシャルの高さが買われていた山沢のもとには、複数のクラブがリハビリ施設の提供を提案。卒業後の進路に選んでもらえれば、との含みもあったろう。 そのラブコールを送ったチームのひとつが、王者のパナソニックだった。山沢は、地元の深谷市と近い群馬県太田市のグラウンドへ通うことにした。ここでは、かつてオーストラリア代表を率いたロビー・ディーンズ監督、同じくオーストラリア代表だったスタンドオフのベリック・バーンズらと出会うこととなる。 常に「高いレベルで…というより、もっと上手になりたい」と謳う山沢は、最高クラスの師匠やお手本に惹かれていった。治療やリハビリの合間のコーヒータイムでさえ、貴重な時間だった。 折しも、同じ大学の1学年先輩である福岡堅樹が、日本代表としてワールドカップに出場。同世代の選手が「上手」な選手たちと試合をしているのを観て、山沢は向上心をさらに燃やした。早期のパナソニック入りを目指すのは、自然な流れだった。 在学中のトップリーグ挑戦。ここで支障となったのは、登録の問題だ。