「誰にも看取られたくない」貴乃花光司50歳が明かした“不審続き”の人生
「生まれ変わったら、貴乃花ではなく、過去の記憶がない人として存在してみたい」 相撲一家に生まれ、15歳で入門すると、22歳で横綱まで上り詰めた。時代の寵児となり注目を集める一方で、家族や兄弟などプライベートがマスコミの標的になった。50歳を迎えた貴乃花光司は、これからどこに向かうのか――。 2時間に及ぶインタビューで、相撲人生やメディアとの向き合い方、現在の生活、元弟子への思いを明かした。(文中敬称略/聞き手:塚原沙耶/文:飯塚さき/撮影:矢内耕平/Yahoo!ニュース オリジナル RED Chair編集部)
「再婚は縁のある方がいたら」
「50歳手前で一人になって、何の違和感もなく慣れてしまいました。本当に一人の生活が快適です。再婚は、よほど縁のある方がいたら」 貴乃花は、2018年に日本相撲協会を退職後、どんな生活を送っているのか。 「寝て起きて、運動(四股)して、働いて、その日のコンディションで食事を作って、食べて寝るという感じです」 1972年、花田家の次男として生まれた。のちの師匠となる父は、元大関初代貴ノ花。「角界のプリンス」と呼ばれた人気力士で、家族そろってテレビ出演することもあった。 「一般家庭で育ったという感覚しかないんですが、家族の一人としてテレビに映ると、友達の目線が変わってしまった。人前に出ること、特にテレビに出るのは嫌いで嫌いで仕方ありませんでした。気を使って『見たよ』って言わない友達の姿も居心地が悪くて。テレビに出るってことは、こんなにも人を変えてしまうことなのかと、幼少の頃に感じました」
8歳の頃に父が現役を引退。藤島部屋を興し、自宅を兼ねた相撲部屋へ引っ越した。同時に小学校も転校。このことが、光司少年にとって相撲を始める転機となった。 「自宅が兼相撲部屋になったことで運命づけられ、力士になる道が芽生えてしまった。転校がなかったら、たぶん力士にはなれていなかったのではないかなと、今になってつくづく感じます」 転校先の公立小学校には、わんぱく相撲大会のポスターが貼り出されていた。「先生やクラスメートから当然出るんだろうといった雰囲気があったような気がして。運の尽きですね、これが」と笑う。 小学3年生で初出場。その年は東京都予選で負けたが、4年生のときに全国大会で優勝。わんぱく横綱に輝く。 「一生懸命やらなきゃと思った結果がそうなった。今考えたら、はたき込みの連続みたいな、相撲のご法度の技ばかり使っていて。喜びよりも、優勝しちゃったという感じでしたね」