GAFAを生んだ「源流」はなぜ米国で生まれたのか、カギとなる「ある二面性」とは
米国経済が経験した「ある変貌」とは
序盤、中盤、終盤それぞれの局面を概観すると、中盤から終盤にかけての変貌が過剰投資(バブルの形成)とその後の調整(バブル崩壊)の遠因だったと言えそうだ。順を追って具体的に見ていこう。 第1期の「雇用なき回復」は失業率の動向に良く現れている。米国では景気が底入れして回復過程に入ると、失業率は通常1~2カ月で低下し始める。ところが、この時期は景気の谷(1991年第1四半期)から1年以上も失業率は悪化を続け、景気の谷のレベル(6.6%)に戻ったのは、1993年第4四半期のことだった。 つまり、景気回復後も3年近くは、厳しい雇用情勢が続いていたわけだ。米連邦準備理事会(FRB)の金融政策を見ても、1993年までは景気刺激型のスタンスが取られ、1994年2月になってようやく景気中立型に戻すため、FFレートが引き上げられた。 第2期の「健全な拡大期」は、連載の第110回で見たように、低い失業率と物価の安定を両立させながら米国経済は確かな成長を続けた。この傾向は、成長率、雇用、物価の指標を見る限り、実は終盤の第3期も変わらない。 だが、第2期から第3期にかけて実体経済は明らかに変貌を遂げていた。
なぜ1990年代終盤に米国の赤字は「急拡大」した?
この変貌を端的に表すのが1998年からの急速な対外バランス(経常収支)の悪化だ(図表1)。米国はレーガン政権下の1980年代にGDP比で3%を超える巨額の経常赤字を計上していたが、1990年代に入ると縮小し、経常赤字のGDP比は1%台で推移していた。 ところが、1998年の第2四半期に10年ぶりに2%台へ突入してからは赤字幅が急速に拡大し、1999年の第2四半期には3%台、2000年の第1四半期には4%台と、過去最悪の水準に拡大した。 対外不均衡は、国内の部門別I-Sバランスを反映するもので、実体経済の動きを鏡のように映し出す。つまり、経常赤字の急拡大は1998年を境に米国経済の内部で何らかの変化が生じたことを示唆しているのだ。