GAFAを生んだ「源流」はなぜ米国で生まれたのか、カギとなる「ある二面性」とは
米国でGAFAの「源流」が生まれたワケ
「生産性向上」で重要なのは、イノベーションの成果を業種横断的に享受することだ。そこでは、新たな「利活用」で湧き起こるICT-enabled businessが鍵となる。一方、デジタル投資に対応したICT-producing businessの活動は、投資需要に派生した「景気変動」に翻弄されやすい。 日本の場合は、利活用は米国に委ね、そこから派生する生産活動の場面でブームが起きたに過ぎなかった。生産性向上で鍵となるICT-enabled businessの利活用が外需の形で国内経済から切り離され、専らICT-producing businessの生産に依存した構造だったのだ。生産性よりも景気の影響を強く受けやすかったゆえんだ。 他方、利活用のためのデジタル投資が加速した米国は、もちろん投資需要の変動が生み出す景気変動の影響も受けたが、それに加えて、新技術の導入による新ビジネスの勃興とさまざまな産業の生産性向上という効果も伴なっていた。 それが後にクラウド技術を活用したGAFAなどのデジタル・プラットフォーマー時代を切り拓く源流となったのだ。
重要になる「ある二面性」とは
利活用のためのデジタル投資が生産性向上と景気循環の両方を引き起こすのは、投資の実行がその時点で新たな「需要」を生み出すという性質と、投資の累積が時間の経過とともに「供給」力の刷新につながるという、「設備投資の二面性」を有するからにほかならない。 では、一体なぜ当時の米国でデジタル投資の急変が起きたのだろうか。そこにイノベーション時代のバブル形成とその崩壊のメカニズムが潜んでいる。 そもそも、1991年から10年に及ぶニュー・エコノミーの景気拡大は決して一本調子の足取りではなかった。2000年末までの10年間について、失業率と貯蓄・投資バランス(I-Sバランス)の推移をもとに読み解くと、次の3期に区分できる。 まずは、序盤の雇用なき回復期(1991年~1993年の3年間)だ。この第1期に続く中盤の健全な拡大期(1994年~1997年の4年間)が第2期、そして終盤のバブル期(1998年~2000年の3年間)が第3期ということになる。