防衛費増に走る日本政府が本来重視すべきは? 「コミュニケーション問題」としてのウクライナ戦争
人間は勝ち負けを決めるのが好き
そもそも人間と人間の関係、集団と集団の関係は、お互いの幸福と利益を目的として形成される。恋愛、友好、取引、家族、社会、国家など、すべてウィンウィンの関係が前提だ。そしてその良好なコミュニケーションというものが、人間の社会と文明の発展を牽引してきたのである。 しかし時に、人間と人間の、集団と集団の利害が相反する場合もある。安定した社会の内部では法的に決着するシステムが確立されているが、そうでない場合においては武力をもって決着される場合も少なくない。戦争はその武力決着の規模が大きい場合である。 また人間にはもって生まれた競争的な性質があり、ゲームやスポーツで勝敗を争うことが好まれる。これはどちらかが勝てばどちらかが負けるすなわちゼロサム(勝ち負けの量がプラスマイナスすればゼロになる)の論理で行われることが多い。そんな無駄なことはやらなければいいというのが合理的な判断だが、人間は勝ち負けを決めることが好きなのだ。その勝ち負けの結果として生まれる秩序が社会と精神の安定につながる。そしてそういった競争意志自体が集団的なものとなって、戦争につながる場合もある。 とはいえ戦争となれば、ウィンウィンでもゼロサムでもなく、双方ともに大きな損害が出るのだから、基本的には避けるのが合理的な選択である。しかも文明の発展とともに、その損失の度合いは大きくなる。人が人を殺すのではなく、文明が人を殺す戦争となっているからだ。それでもこの世から戦争がなくならないのは、総合的な意味でのコミュニケーションがうまくいってないからではないか。表面的なコミュニケーションの技術は飛躍的に発達したが、深いところでのコミュニケーションの進化にはつながっていないということだ。
三つのカテゴリー
戦争とコミュニケーションの関係には三つのカテゴリーがある。第1に、戦争当事国どうしのコミュニケーションである。第2に、戦争当事国内部のコミュニケーションである。第3に、戦争当事国と他の世界とのコミュニケーションである。グローバリズムが進行する今日、第3のカテゴリーの重要性が増している。 今回のロシアとウクライナの戦争について三つのカテゴリーを当てはめて考えてみよう。 カテゴリー1・ロシアとウクライナと西側のコミュニケーションが不十分であった。ウクライナと西側がロシアの領土拡大意志をよく理解していなかったこと、ロシアもウクライナの防衛意志と西側の協力意志の強さを予測していなかったことから戦争がはじまっている。 カテゴリー2・プーチン大統領とロシアの指導層と軍関係者と国民とのコミュニケーションが、ゼレンスキー大統領とウクライナのそれに比べて、うまくいっていなかったように思える。現在の戦況に、コミュニケーションにおける「開かれた社会」と「閉ざされた社会」の差が現れたのではないか。 カテゴリー3・SNSなどをつうじて戦争被害を報道したウクライナが多くの世界からの支持をえた。自由と民主をうたう西側が世界の大勢ではないにしても、ロシアが世界の支持を得ているとはいいにくい。最近は衛星国(ベラルーシ、カザフスタン、ジョージアなど)の支持にもヒビが入りつつあるようだ。今回は侵略者と防衛者が明らかであったのだから当然だが、ロシアのフェイクニュースによるプロパガンダは世界には通用しなかったのではないか。 以上がロシアのウクライナ侵攻におけるコミュニケーション問題の要点である。