「なんで自分ばっかりしんどいのかな」引きこもりから日本初のパラ卓球シングルス金メダリストになった和田なつき
その会話は流暢で、表情は穏やかで優しい。 “障がいが全くわからないですね”と、声をかけようとして、ふと躊躇する。 それは、障がいのある人生と競技生活を成立させてきたパラアスリートにとって、嬉しいことなのだろうか。 あなたは和田なつきについて、どのくらい知っているだろう。 たたでさえ競技数が少ないパラリンピックの中でも、知的障害クラスがあるのは水泳、陸上、卓球のみである。 日本が1964年にパラリンピックに参加して60年、和田は卓球シングルスで、男女通じて日本初の金メダリストとなった。
和田なつきの知的障がいとは
数字は足せるが、引くのは難しい。 1対1の会話は支障がないが、4人以上の会話が弾み始めると入れなくなる。 卓球の練習中でも、ちょっとしたきっかけで癇癪が起きる。 感覚過敏で、音・匂い・光などの刺激には過緊張が起こる。 一方で、その鋭敏な感覚と、ボールのマークまではっきりと見える集中力は、類まれなボールタッチも和田にもたらした。 卓球という競技の光が照らす、21歳の若きパラアスリートに話を聞いた。
パラ後に「バーンアウトに」
――9月にパリパラリンピックで日本女子初のシングルス金メダルを獲って2ヶ月ほど、いまはどんな心境ですか。 いまは、今後の大会に向けてめっちゃ頑張ってます。 戻ってすぐはやる気がなくなったり、卓球の楽しさがわからなくなる時期もありました。トレーナーさんからも「バーンアウト(燃え尽き症候群)になってるね」って。 ――どうやって回復していったんですか。 楽しいことを考えたり、1ヶ月先の目標より1週間先どうする、という小さな目標をコーチと話し合いながら過ごしていたら、また卓球の楽しさが戻ってきました。 あと、11月のフランスオープンで櫨山(はぜやま)選手にフルゲームで負けて、表彰台に上がっても嬉しくなくて。次やったら負けないように頑張って練習してます。 ――普段、どんなスケジュールで練習しているんですか。 週5、6日、グループレッスンやコーチレッスンに行って、2週間に1回出社しています。空いてる時間はパーソナルトレーナーに通ったり、自分の体のケアを中心に向き合ってる感じです。