「なんで自分ばっかりしんどいのかな」引きこもりから日本初のパラ卓球シングルス金メダリストになった和田なつき
診断に「なんで自分ばっかりしんどいのかな」
――そもそも卓球を始めたきっかけは。 ダイエットです。 小学校4年から不登校気味で、家に引きこもりになって。中学一年は最初の2週間でダメでした。 薬の影響で太ってしまって、私、兄と身長が同じなんですが体重も同じになって、これはヤバいぞと(笑)。 それで15歳のときに東住吉の長居障がい者スポーツセンターに行って、卓球したのがきっかけですね。 ――その頃には、自身に知的障がいがあることは分かっていたんですか。 中学2年の冬ぐらいに診断されたので、同じくらいの時期です。 ――聞きづらい質問ですが、不登校の時期に診断が出たのはどこか安心する部分もあったんですか。 いえ、納得がいかなかったです。学校に行けてないから知能が劣ってるだけじゃないかと思いました。 精神的にもつらい時期だったので、私には障がいもあるのか、なんで自分ばっかりしんどいのかな、健常に生まれたかったなと、マイナス方向に悩みました。
車椅子の選手が1球1球大切にしていた
――そこからどうやって前向きになっていったんですか。 徐々に、納得していった感じです。 その障がい者スポーツセンターでは、車椅子の選手が毎日5時間とか練習していて、手が不自由なのにボールを自分で拾って、その1球1球大切に練習していました。 こんなに重い障がいの人でも頑張ってるんだから、自分にもできるんじゃないかなって思い始めてからですね。 ――卓球は最初から楽しかったですか。 いえ、うまくないから続く楽しさがわからなくて。 でも、試合に出て負けたら悔しくなって、頑張ろうって。 練習あんまりしてない頃から勝てたりして、周りの人が“すごいやん”って言ってくれて、どんどん続けてたら結果が出てきたって感じです。
障がいと共に備わっていた感覚
――15歳で卓球を始めて、わずか5年後に世界大会で優勝するんですよね。ご自身では短期間で成長できた理由はなんだと思いますか。 うーん。ボールタッチなのかな。 どの面の角度で、どこまで食い込ませて、このタイミングで離して、とかの感覚はあるんだと思います。 ラバーがダメになったとか、今日は湿気多いからこの打ち方できないとか、すぐわかります。 ――それは卓球選手にとって大事なセンスですよね。 集中していると、ボールのマークも見えます。“星がついてるやん”って。 ――すごいですね。視力がいいんですか。 いや、悪いです。コンタクトで今、0.65くらい。 私には感覚過敏の障がいの特性があって、そのせいなのかはわからないんですけど。