ロシアのウクライナ侵攻で浮かび上がる「国際的なSNS市民層」の存在 新たな市民層は世界をどう動かすのか?
新しい市民層
「市民」という言葉は、一次的には都市の住民をさす。しかし主として西欧社会における近代化の歴史において、ある程度教育を受け政治的判断力を有する人、軍人ではなく武器をもたない人、小さな集団を超える人道主義に立つ人、といった二次的な意味を帯びるようになっている。だからこそ市民が銃を取る、あるいは銃に抵抗することには大きな意味があり、その力にこそ民主主義の根幹があるという考え方もある。「市民戦争」は内戦の意味にも使われるが、今回のウクライナの抵抗も一種の市民戦争の様相を呈している。 また今回、「アノニマス」と呼ばれる国際的ハッカー集団(緩やかな組織といわれる)も、ロシア政府へのサイバー攻撃を宣言している。西側政府からロシアへの攻撃は宣言されていないが、ロシア政府から西側へのサイバー攻撃はほぼ確実であり、いわばサイバー空間においても、ロシアという国家による攻撃に世界の市民が応じるといった様相だ。 そう考えてきたとき、今のウクライナから、新しいコミュニケーション技術によって連帯する「SNS市民層」ともいうべきもの(インターネット市民層あるいはサイバー市民層といってもいい)が形成され、西欧を越えて、西側も越えて、東欧諸国はもちろん、アジアにも、ラテンアメリカにも、アフリカにも広がり、その民意が実際の政治力として機能しつつあるように感じられる。 前にこの欄で、インターネットでコミュニケーションする人々を「個室の大衆」と表現した。しかしウクライナではその個室が破壊されているのだ。残酷な破壊を前にして「大衆」は「市民」となった。
「西側」とは交換的コミュニケーションの社会である
冷戦時代には、「西側 vs 東側」、「資本主義 vs 社会主義」という言葉によって世界が陣営化され、現在は、「民主主義 vs 権威主義」という言葉によって、陣営化されようとしているが、その根底には、コミュニケーションと市民層の問題があるのかもしれない。 前にこの欄で、内陸型の国家は「統制の原理」によって、海洋型の国家は「交換の原理」によって成り立つと書いたことがある(THE PAGE「G7は本当に先進国の集まりか? アフターコロナの世界における『キャッチアップする経済』と『埋まらない文化の溝』」2020/8/15(土)配信)。社会的なコミュニケーションにもまた「統制型」と「交換型」の違いがあるのではないか。いわゆる「西側」の国々には、統制としてのではなく交換としてのコミュニケーションが機能しているように思える。 しかしながら現実を見れば、ロシアの侵攻によるウクライナの行く末は予断を許さない。新しい市民層の力が及ばない結果となる可能性は十分にある。だがそれでもなお、人類の戦争の歴史において、新しいコミュニケーション手段による「SNS市民層」というべきものが誕生し力をもちつつあることは認められるのではないだろうか。歴史の趨勢が、ただちに結果として現れるというわけではない。それでもなお、地底のマグマは不断の動きを止めるわけではない。 独裁的なリーダーが判断を誤れば大きな災難となる。逆にリーダーシップのない政治家ばかりでは必要な改革が進まない。 政治も人間も「ちょうどいい」というのは難しいようだ。