なぜ元西武の”問題児”相内誠はRISEでの格闘家デビュー戦で屈辱の125秒TKO負けを喫したのか…今後の可能性は?
西武時代には“問題児”のレッテルを貼られた。2012年に千葉国際高(現・翔凜高校)からドラフト2位で西武に入団したが、正式契約を前に仮免許で路上に出てペナルティを受け、プロ入り後も、未成年での飲酒、喫煙、自損事故などを起こし、トドメが、昨年の新聞沙汰になった事件。新型コロナの自粛期間だった4月に球団が禁止しているにもかかわらずチームメイトと共にゴルフ場にでかけ、しかも法定速度を89キロもオーバーする道交法違反の車に同乗していた。発覚した8月に無期限の対外試合出場禁止、並びにユニホーム着用禁止処分を受け、自主退団を申し出て、オフに戦力外通告。だが、ピンチはチャンスである。ユニホームを脱ぐことを決意したからこそ高校時代から温めていた格闘家の夢を実現できることになったのだ。 「運命ってあるのかなと思う。悪いことをしてもバレない人はバレないのに僕は毎回バレる(笑)。でも高校生までは運のいい人間だった。何をやっても運がよかった。指導者にも恵まれた、すでに使い切っちゃったのかもしれないが、格闘家として、ここからもう一度、ゼロから運をためていく」 しかし、横浜アリーナ大会でのデビューという絶好の機会を生かしきれなかった。相内は「1年真剣にやってみて格闘家としてやれるかどうかを判断したい」とも語っていた。彼はプロの格闘家の洗礼を浴び、どう思ったのか。 試合後の相内にその質問をストレートにぶつけた。 「このままなら無理だな、と思った。しっかりと練習しななきゃ…命をかけるスポーツ。元々中途半端で始めたわけではない。時間をかけて練習に取り組まなければ…。負けをきっかけに這い上がってやろうという気になった」 格闘家続行を宣言した。 ――もう格闘技は怖い、とは思わなかったのか? 「怖いという表現とは違う。怖かったらそもそもやらない。怖いんじゃないんだが、痛いっす(笑)。男のスポーツだと思った」 完膚なきほど叩きのめされたが、夢見た世界が間違いでなかったことにも気がついた。 伊藤代表は「再起の場は作っていきたい」と約束した。 「なんでこんな選手を使うの?という声もあるが、話題になるのはプロとして凄いこと。アンチのいる中で散ってしまった。まだゼロから始まったばかり。これから本格的にやりたいと言っているし信頼するトレーナー、ジムをみつけて性根を入れてやってもらいたい」 相内本人も何が足りないかを痛みを持って感じた。 「まずはディフェンスとスタミナ。練習をしたことを発揮するにはスタミナが必要。打たれてもしっかりとガードができなかった。ディフェンスを鍛えないと攻撃に持っていけない」 加えて伊藤代表が指摘するように練習環境を整えることが今後成長するためのポイントになってくるだろう。 対戦相手の拳信王は、相内の“未来”にこんなメッセージを送った。 「格闘技はハート。心が強ければもっと強くなれる」 格闘家の第一歩に爪痕は残せなかった。 しかし、退場する際にファンは「ナイスファイト!」「次頑張れ!」と温かい声をかけていた。数々の問題発言が炎上。デビュー前から“アンチ相内”が増殖し、大会側も「房総のバッドボーイ」とネーミングしたが、赤っ恥をかくような試合だったからこそ、その挑戦の姿がリアルに映った。 「その声。聞こえていました」 相内の本当の人生の再スタートは負けを知ったところから始まるのかもしれない。