夫がよそで作った子どもを引き取り、育て上げた90歳女性。ひ孫にも会えた今、当時の決断を振り返る
人生100年時代と言われ、人が経験したことのない未来が待つ中、戦後の日本を生き抜いてきた90代の方が見ている景色とは。そこには、激動の時代を過ごしたからこその喜びや悲しみ、稀有な巡りあわせが詰まっています。九十有余年の人生から、今を生きる私たちが、明日を明るく迎えるヒントが見つかるかもしれません。池畑栄さん(滋賀県・90歳)は、見合い結婚した相手と靴屋を始め、必死で働く日々を送っていました。ようやく商売が軌道に乗り、子ども2人と順風満帆な生活を送っていた矢先、夫がよそに別宅を持っていることが判明。相手の女性との間に子どもが産まれたと知った後も、今の生活を守るため、なにも話さないまま過ごしていましたが――(イラスト:北原明日香) * * * * * * * ◆仲良くするからうちの子にして それは子どもたちが夏休みに入った、ある暑い日の午後のことだった。夫が突然、2歳くらいの坊やを片腕に抱いて、帰宅したのである。開口一番、 「おい、誰の子かわかるか」 と言う。私はとうとう来るべき時が来た、と思った。夫は痩せ細った坊やを私に渡すと、「この子の親とは別れた。この子を頼む」と口にするだけで、ほかになにも言わない。坊やは私の腕のなかで泣いていたが、泣き疲れたのか気づくと寝てしまった。 娘たちに、なんと説明したらよいのだろうと考えると、心は千々に乱れた。 「この子のお母さんは病気で亡くなって、お父さんはどこかで行方不明になってしまった。だから今日からあなたたちの弟として一緒に暮らそうと思うけれど、あなたたちはどうかしら」 そんなことを話すと、娘たちは目にいっぱい涙をため、「こんなに小さくてかわいい子を孤児院に預けるなんてできない」「弟として仲良くするから、うちの子にして」と言ってくれた。それを聞き、私の心は決まった。
子どもに、なにひとつ罪はないのだ。坊やは「大きいおねえちゃん、小さいおねえちゃん」とすぐに娘たちに懐いた。 時折持ち上がる嫉妬が心を揺さぶることはあったが、3人が枕を並べて眠る姿を見ていると、女である前に私は子どもの親なのだ、と自分を戒めずにはいられなかった。 こんなにかわいいさかりのわが子を、他人に託した女性の気持ちを思ったりもしたが、のちに、彼女はほかの男性と結婚するため、夫に子どもを託したのだと知った。というのも息子と正式に縁組をする際、私はたった一度、彼女と会ったのである。 その後、私たちは20年以上暮らした土地を離れた。新しい土地は馴染むまでに苦労するものだが、移った先でも靴店を営み、多くのお客様や友人に支えてもらった。 *** 時は流れ、私はいま90歳になった。娘たちも還暦をとうに過ぎ、それぞれが子どもと孫に囲まれている。息子は優しく、立派な男性に育った。夫が75歳で他界したあと、私が83歳になって肩を痛めるまで、一緒に店を切り盛りしてくれた。 息子は戸籍を取り寄せたときにはじめて、自分と私の間に血縁がないことを知ったという。ただそのことはきょうだい同士で話しただけで、私にはいまだなにも言わない。 むしろ自分は私の連れ子で、父親が違うとばかり思っていた、と娘に話したらしく、それを聞いたときは不思議と安堵した。 店は畳んだが、孫やひ孫に囲まれ、いまが一番幸せな時間のように感じる。この日々に感謝していると、あの頃の悲しみがまるで嘘のようである。
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