夫がよそで作った子どもを引き取り、育て上げた90歳女性。ひ孫にも会えた今、当時の決断を振り返る
◆そして、いま―― 池畑さんに、いまのお気持ちを伺いました 『婦人公論』は、まだ小さい判型だった頃から読み続けてきた雑誌です。自分の文章が載るなんて嘘みたい。こうしてお電話をいただき、嬉しく思いました。 短歌などは好きでつくり続けてきたけれど、このような長文を書いたり、自分のこれまでを綴ったりしたことはなかったですね。それに原稿を郵便ポストに入れたら安心して、投稿したことをすっかり忘れていました(笑)。 ただ応募したのは、自分の人生が終盤に近づくなか、「こういう生き方もあるんだよ」ということを書き残してみたい気持ちになったからだと思います。長い人生には、ほかにもいろいろなことがありました。とてもここには書ききれません。 夫が亡くなってからも店は続けましたが、段差で躓いて肩を打ったのを機に、閉めることにしました。それから7年ほど経つのに、これまでのお客様をはじめ、いろいろな人がひとり暮らしの私を訪ねてくださり、お弁当やら野菜やらお裾分けしてくださいます。 今年に入って脳梗塞を起こしたのですが、もうすっかり快復し、歩けるようにもなりました。周囲のお友達に支えられて、いまの私がいます。本当に感謝しかありません。
お店をやっていた頃は忙しくて大変なことばかりでしたけど、最後までずっと楽しかった。たくさんの方とお話しできましたからね。新しい土地で知らない人ばかりでも、知らないことがたくさんあっても、だから面白い、といつも思ってきました。そういう意味で、店は学びの場だったと思っています。 それに、いいお客様がいいお客様をどんどん連れてきてくださるものだから、驚くように人の輪が広がっていきました。最初の店の顧客には有名な代議士の方や俳優の方もいらして、靴を作らせていただいたものです。 人生になにか悔いはないかと聞かれれば、大人の事情で他県へ移り住んだことでしょうか。突然学校が変わることになり、特に娘たちには切ない思いをたくさんさせてしまいました。 夫には、いまさら言うことはありません。死んだ人になにか言っても仕方ないですし(笑)、いいところもたくさんあったから別れなかったんです。 もっと妻として尽くしたり、夫と腹を割って話し合ったりすればよかったのかもしれない、と思うこともあります。ついつい店のことに一所懸命になってしまったものだから、寂しい思いをさせたり、私にもたぶん悪いところはあったんだろうと思います。 とはいえ、あの人も「この女房なら、黙ってこの子を育てるだろう」と思って、突然息子を連れてきたんでしょう。いくら昔でも、そうそうある話じゃない。あの頃はずいぶん苦しみましたし、悩みもしましたね。いまの私だったら、同じことができるかわかりません。あれは、あのときの私だからできたことなんだと思います。 私はいまが一番幸せです。家族に対しても、お客様に対しても、ただ正直であれ、と生きてきました。それでこんなふうに編集部の方と楽しくおしゃべりもできて、私は本当に幸せだわ。
池畑栄
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