中国共産党「百年の孤独」 「ヨーロッパ的普遍主義」から「普遍的普遍主義」への道
頭脳は共産主義・胃袋は資本主義
「白い猫でも黒い猫でもネズミをとるのがいい猫だ」 中国に古くからあることわざだが、改革開放路線をすすめたトウ小平の言葉として知られている。法律や道徳(思想)よりも実利だということで、共産主義の国でこんなことをいえるのはすごい政治家だと、ある種畏敬の念を抱かされた。そしてその言葉のとおり、その後中国は資本主義国以上に資本主義的な経済発展の道を爆進してきたのである。 ただ、今回の共産党の式典とそれに合わせてオープンした博物館で強調されているのはその逆、つまり毛沢東時代の共産主義精神の復活である。トウ小平的な改革開放路線によって蔓延した官僚の腐敗を一掃するためだというが、経済発展の道を捨てる選択肢はないので、頭脳は共産主義、胃袋は資本主義という、あえて矛盾する道を歩むことになる。このグローバルな時代に、果たしてそんなことが可能だろうか。国際社会がそれを許すだろうか。赤い猫だけで十分なネズミがとれるだろうか。
既得権としての対中包囲網
しかしその中国を包囲する側の正義は万全であろうか。前回は「対中包囲時代」が長引くという前提の上で中国の変化の可能性を考察したが、ここではその包囲網を形成する国家の歴史について少し考えてみたい。 対中包囲網を形成するのは、日本、アメリカ、オーストラリア、インドに加えて、イギリス、フランス、ドイツなどである。インドを別にすれば、いわゆる西側諸国であり、かつての「列強」である。いわば16世紀以来の近代文明(近代の始まりを16世紀とする考え方については以前掲載の記事で述べている)の先進国側であり、古代地中海から西欧へと発展したメジャーな文明の側である。植民地主義以来、多かれ少なかれ他国を支配し、権益を享受してきた国家群であって、その既得権はまだ温存され、世界の現状維持勢力(ステイタスクオパワー)を形成しているのだ。日本がある時点でこの流れに乗ったことは6月26日掲載の「『米ソ冷戦』の次は『対中包囲』の時代に」の記事の中で書いたとおりである。 その西欧文明を中心とする「既得権益現状維持勢力」に、これまで挑戦した勢力を見れば、ドイツは西欧文明内部からの挑戦者であり、日本は西欧文明新参の挑戦者であり、旧ソ連は西欧文明に近い東欧文明からの挑戦者であり、イスラムはヨーロッパの外部だが地中海文明圏内の挑戦者であり、中国は完全に異なる文明からの挑戦者である。そしてこれまでのところ歴史は、現状維持勢力が簡単には破綻しないことを示している。