中国共産党「百年の孤独」 「ヨーロッパ的普遍主義」から「普遍的普遍主義」への道
ヨーロッパ的普遍主義
イマニュエル・ウォーラーステインの「世界システム」という考え方についてはこれまでも述べてきた。『近代世界システム』は4巻にわたる大書で、オランダやイギリスなど経済的覇権国家の歴史が詳述されているので読むのも大変だが、『ヨーロッパ的普遍主義-近代世界システムにおける構造的暴力と権力の修辞学』(イマニュエル・ウォーラーステイン 山下範久訳 明石書店)は比較的読みやすい。 彼はその中で、過去五百年にわたって、権力を有するものがその状態を維持できるようにするための決定的な概念は次の三つであったと述べている。 「〔第一に〕普遍的価値を奉じていると信じている者が、野蛮に対して干渉する権利、〔第二に〕オリエンタリズムの本質主義的個別主義、そして〔第三に〕科学的普遍主義」 第一の概念についてはラス・カサス神父の『インディアスの破壊についての簡潔な報告』(岩波文庫)を下敷きに、第二の概念についてはエドワード・サイードの『オリエンタリズム』(平凡社ライブラリー)を下敷きに論じている。前者は、ヨーロッパからの征服者(ここではスペイン人)がいかに残虐に植民地の先住民を殺し搾取し酷使したかが克明に記録されたもので、16世紀以後の国際関係を論じる者には必読の書であると思われる。後者は、オリエント(東洋)に関する西欧からの学問的研究には伝統的偏見が積み重なっていることを論じて話題となった。 ウォーラーステインはこうした歴史的著作をベースに、野蛮に対する干渉の権利、西欧からの東洋学における伝統的偏見、現在の科学的普遍主義、という三つの概念すべてにヨーロッパ的普遍主義が伏在しているとし、それを乗り越えて「普遍的普遍主義」に達する必要性を主張する。 その方法について明確なビジョンが示されているわけではない。また、いかに批判的であるにせよ、ウォーラーステイン自身が西欧中心の歴史観を免れていないという指摘もある。 しかし、現在顕在化している中国の挑戦に対して、こういった歴史研究を一顧だにせず、やみくもに押さえつけようとするならば、それはまさに偏った西欧主義のタコツボに嵌っていると批判されても仕方がないだろう。地理的な意味で西欧に属さない日本人ならなおさらのことだ。