「よく3回無事に帰ってこれた」野口飛行士がJAXA退職会見(全文2)
今後の茨城県内との関わりをどう考えているのか
茨城新聞:茨城新聞社の【サイトウ 00:29:23】と申します。26年間お疲れさまでした。野口さんはこれまで業務外でつくば市との交流だったり、あとは、昨年は東京オリンピックの聖火リレーをなされたと思います。今後も、例えば茨城県内との関わりというのはどのように考えていらっしゃいますでしょうか。よろしくお願いいたします。 野口:ありがとうございます。茨城の皆さん、つくば市の皆さん、応援していただいて本当にありがとうございました。JAXAの、やはりこのわれわれJAXA宇宙飛行士の本拠地はやはり茨城県つくば市になりますので、もう本当に県民の皆さんと市民の皆さんの応援、ずっとしていただいて本当にありがたいと思ってます。なんといっても研究学園都市ですので、いろいろ最先端の研究が続いてると思いますけども、やはりその中で宇宙への夢の実現に向けて引き続き茨城県、つくば市、皆さん、応援していただければ幸いです。ありがとうございます。 茨城新聞:ありがとうございます。 司会:ありがとうございます。では、はい、どうぞ。
次の道に進む決断の一番のきっかけは
テレビ東京:テレビ東京の大江と申します。野口さんをきっかけに宇宙に興味を持った者としても、お礼を申し上げたいと思います。長い間、本当にお疲れさまでした。今回の野口さんの決断というのを、1人の方の生き方ですとか働き方という観点で注目している方も多いと思うんですね。まだまだ余力はたっぷりおありだと思うんですけれども、そうした中で次の道に進むという決断をなさった、その一番大きなきっかけというのはなんだったんでしょうか。また、次へのチャレンジをしようとしている方に伝えたいことがあれば教えてください。 野口:ありがとうございます。そうですね。先ほど3回目のミッションが終わってっていうのが1つありましたけども、実は1回目のミッションから続いてますけども、もしこの25年間で一番つらいことは何かと聞かれたら、僕はコロンビア事故だと思ってます。2003年のコロンビア号で7名が亡くなって。今日も私、ここはコロンビア号のピン着けてますけども。やはり同期の人間、仲間7名が亡くなって、そこから私の宇宙飛行士としての使命はずっと、あの7名の見た景色と伝えたかったことを伝えていく。そのためには何が何でも帰還すると、帰ってくるっていうのが私の宇宙飛行士としてのテーゼだったと。