伝説になった引退・浅田真央は4回転も跳んでいた!
国民に愛されたスケーターだった。 バンクーバー五輪銀メダル、世界選手権で3度優勝の浅田真央(26、中京大)が12日、都内で引退会見に臨んだ。爽やかで愛くるしく。笑顔と最後は溢れでた涙に彩られた素晴らしい会見だった。 ネットで話題となっている国民栄誉賞については、その政治的側面をよく見極めなければならないが、そういう議論が起きるのも“なるほど”と、うなずけるほど誰もが真央ちゃんが好きだった。 トリプルアクセルを3度成功させながら、キム・ヨナに敗れて銀メダルに終わった2010年のバンクーバー五輪。そしてSPで転倒しての16位から6位に浮上した2014年のソチ五輪の“奇跡のフリー”。引退会見で、最も印象に残った演技に、浅田もこのソチ五輪のフリーの演技を挙げた。 「ショートが終わってから、今までの試合以上に凄く落ち込みました。“日本に帰れない”と思って辛い思いをしました。フリーの当日朝は、気持ちが切り替わっていなくて、“このままで大丈夫なのかな”と、公式練習を終えました。試合が近づくにつれて、メイクをして、アップをして、リンクのドアを出た瞬間に、凄い会場で、“やるしかないな”という思いが出てきました。(終わった瞬間)“終わったなあ”と思えて“良かった”という思いもこみ上げて涙しました。でもバンクーバー(五輪)も悔し涙を流していたので“泣いてちゃあだめだ”と頑張って笑顔にしました。バンクーバーからソチの4年を4分間に注ぎこめたと思っています」 金メダルに手が届かず悲劇のヒロインで終わったが、ファンは浅田真央の演技に魅了され、その悔しい涙も嬉しい涙も共感に変わり心を震わせた。 元全日本2位で、浅田の競技生活をある意味、同時進行でも見てきた中庭健介さんは、愛される理由は、その華やかな演技と、キュートな笑顔の内側にある人間性と見ている。 「普段の浅田選手も、まったく裏表がなく、あのままなんです。性格が素直なんです。カリスマであり、雲の上の人なのに、そんな態度を微塵もみせずに後輩をかわいがり、気楽に声をかけたりする。頑固な一面があるのもわかりますが、今日の記者会見で見せた姿が、そのまま浅田選手の姿。だから、そういう人間味がリンクの演技からも溢れ出て誰もに愛されたのだと思います」 一部マニアだけが熱狂していたフィギュアを、浅田がメジャーな人気競技に変えたと言っても過言ではない。 不世出の天才スケーターだった。 会見では、毎年夏に長野の野辺山で行われる新人発掘合宿で、「はじめてトリプルアクセルを下りて嬉しかった」というような話をしたが、浅田は、小6で特例措置で出場した2002年の全日本選手権で3回転フリップ+3回転ループ+3回転トゥループのコンビネーションジャンプを披露して大きな衝撃を与えた。2003年のノービスAクラス(11歳以上13歳以下)の中部ブロック大会では、トリプルアクセル+2回転トゥループのコンビネーションに成功している。まだ中学1年である。 実は、この小学校時代の新人発掘合宿で、当時はまだ現役選手だった中庭健介氏は、高橋大輔氏らと浅田の練習風景を見て、こんな話をしたことを覚えている。 「早い段階でルッツを跳べるようになり、次にアクセル。そして、この頃、4回転まで跳んでいたんです。とんでもない子が出てきたな。僕らは男子でよかったなというような話をしていました」 その頃、浅田真央は、トリプルアクセルや3回転+3回転のコンビネーションジャンプだけでなく、4回転サルコーまでを練習で成功させていたというのだ。