伝説になった引退・浅田真央は4回転も跳んでいた!
安藤美姫氏が2002-2003シーズンのジュニアのGPファイナルで女子として史上初の4回転サルコーに成功したが、実は、それより先に練習では、浅田が4回転ジャンプを跳んでいたのである。 しかし、浅田が、自らの代名詞にしたのは、4回転ではなく尊敬するアルベールビル五輪の銀メダリスト、伊藤みどり氏が初めて決めたトリプルアクセルだった。 浅田は、この日、トリプルアクセルについて、「伊藤みどりさんのようなトリプルアクセルを跳びたいと、ずっと夢を追ってやってきました。(トリプルアクセルは)自分の強さでもありましたが、悩まされることも多かったです。(今、トリプルアクセルに声をかけるとすれば?)なぜもっと簡単に跳ばせてくれないの? と言いたいです」と語った。 男子は、多種類複数回の4回転時代に向かっているが、女子はトリプルアクセルを追いかける選手はほとんど出てこず、3回転プラス3回転のコンビネーションを極める時代になった。 「おそらくトリプルアクセルを跳べる実力を持った選手は多いと思います。でもアクセルは前から踏み切る難易度の高いジャンプですから恐怖感を抱くんです。ミスを犯すリスクも高い。浅田選手のようにリスクを承知で跳ぶ勇気が持てないんだと思うんです」と、前述の中庭氏。 では、なぜ浅田真央だけがトリプルアクセルを跳べたのか。 「浅田選手には独特の飛び出しの角度があったんです」と中庭氏は言う。 「通常、ジャンプは、斜め45度くらいの角度で飛び上がるのですが、浅田選手は、45度から限りなく90度に近いイメージで上に跳ぶんです。だからジャンプが高く浮き始めて回転の速い美しいトリプルアクセルに成功したのです。でも普通は、その角度では怖くて踏み切ることはできません。それが想像を絶するほどの練習量の成果であり、浅田選手のセンスではないでしょうか」 だが、年齢と共に肉体も変化し、表現力に円熟味は増したが、トリプルアクセルの精度を保つことは、だんだんと難しくなっていた。最後のシーズンの序盤のGPシリーズでは、左膝や腰に不安が残っていたため、トリプルアクセルを封印せざるを得なかった。浅田真央が「終わった」と感じた全日本選手権では、そのトリプルアクセルを解禁したが、一度も成功することはできなかった。トリプルアクセルと共に悔いなき引退を決めたのである。 浅田は、「若いスケーターにエールを送りたいです」と後継者へ期待を寄せるが、すでに浅田に憧れてスケートを始めた世代が飛び出してきた。世界選手権で5位に食い込んだ三原舞衣も、来季シニアデビューしてくる本田真凜も、そういう真央に憧れた世代だ。だが、“ポスト真央”としては、まだまだ物足りない。浅田の前に浅田なし、浅田の後に浅田なしーーー。浅田真央は伝説になってリンクを去った。