なぜ“浪速のロッキー”ジュニア赤井英五郎はプロデビュー戦で144秒TKO負けを喫したのか…父が息子へ熱く語ったエールとは?
まだボクシングを初めて6年である。 赤井ジュニアは、小学校6年生からハワイの学校に留学し、中学までではラグビー部、高校でアメリカンフットボールを経験。米カリフォルニア州ウィディア大に進学し、20歳でアマチュアボクシングを始めた。意識の高い周囲の仲間たちは将来のビジョンを持って大学に来ていた。だが、赤井にはそれがなかった。 「自分は何になりたいか」「何をしたいのか」を自問したとき、父親の姿が浮かんだ。 父は、今や俳優として有名になったが、かつては“浪速のロッキー”と呼ばれ、連続KO記録を作り、WBC世界スーパーライト級王者のブルース・カリー(米)と世界戦を戦ったことのある元プロボクサーである。 「父親がボクサーだった。格闘技はやったことはなかったし、ボクシングのプロとアマの区別もつかなかったが、まずやってみようから始めた。自分の可能性はやってみないと確認できない」 父は「まさか英五郎がボクシングをやるとは思っていなかった」という。 わずか数年でDNAは開花した。 「社会人チャンプになって、もっと上を目指そう、五輪に行きたいと、ボクシングを続けた」とは、父の説明。 東京五輪の国内代表を決める全日本選手権で敗れた赤井英五郎は、プロ入りを決断する。 英和さんは、プロ転向を聞かされたとき、「やりたかったら、やったらええ」と大賛成した。理由は、「ファイトスタイルがプロ向き」だと思ったのに加え、赤井さんには、プロボクサーに不可欠な資格を備えているのがわかっていたからだ。 「アメフトでは、150キロの選手とガンガン当たるポジションだった。“(ボクシングは)同じ体重と戦うんだから、怖さないよ”と言うくらい強い気持ちを持っている男。ボクシングで一番大切なものは、その気持ちなんです」 入場曲に選んだのは映画「ロッキー・シリーズ」の続編「クリード、チャンプを継ぐ男」のテーマ曲だった。主人公のロッキー・バルボアが、かつてのライバルだったアポロ・クリードの息子のトレーナーとなって世界を目指す物語である。アマチュアボクシングをスタートさせた6年前に、赤井英五郎は、その映画の公開前夜祭に親子で呼ばれ「映画に共感した。思い出深い曲」だという。 父について「人の話は聞かず会話のキャッチボールはできないが、だから強かったと思う。行動力をリスペクトしている」と語ったジュニアは、その映画に自らの人生をオーバーラップさせたのかもしれない。 オールドスタイルのフィット感のあるトランクスには、白地に赤で「AKAI」とアルファベットで名前を縫い込んだ。その書体は父が現役時代に入れていたものと同じだという。 カリーにKO負けし。世界再挑戦を目指していた赤井さんは、大和田正春氏との世界前哨戦で脳挫創を負い、生死を彷徨い、引退を余儀なくされた。 果たせなかった夢を息子に託したいのか?と質問すると、「(将来は)世界チャンプとか、遠いとこは思ってまへん」と笑って否定した。 「青春をこのボクシングという素晴らしいスポーツにね。私もボクシングのおかげで仲間や先輩に出会って財産ができた。英五郎ももっともっと財産を作ってもらいたい」 26歳の遅咲きデビューを飾った息子への父としての本音だろう。それでも元ボクサーの血は騒ぎ「打たせず打つボクサーになって欲しい」と理想像を掲げ、息子への注文が止まらなくなった。 「マイク・タイソンみたいに(相手の内側に)入ったときに頭をふり、ウィービング、ダッキングでリードパンチを打たれたら標的を動かし、ブロック、パーリングを使い、避けては返す、避けては返すというスタイルを勉強したらいい」