知名度ゼロからの大逆転――断酒から5年、地獄を見た地下芸人がつかんだ「チャンス」
稼いだ金は全部、酒に使っていた
卒業間近に「お笑いやろうや」と同級生に誘われ、再びNSCへ。しかし芽は出ず、コンビを解散。一人になって東京へ向かい、小さな事務所に入って、改めて芸人として走りだした。先輩たちと一緒に過ごす時間は楽しかったが、生活費を借り入れるうちに借金は300万円まで膨らんだ。 「とにかくお金はなかったですね。家賃が払えず、アパートを追い出されて。土下座をしていろんな人に居候させてもらってました」 当時の活動場所は主に「地下ライブ」。名もなき芸人ばかりの、メジャーシーンからは程遠いライブだ。そこでは不謹慎なネタ、下ネタ、過激な政治ネタなどなんでもあり。刺激的で楽しかった。 「どうせテレビに出られないんだからと過激になっていくんです。プロレスラーが蛍光灯を使ったデスマッチをやるみたいに、普通のライブでは聞けないネタばかり考えていました」 当時の楽しみは酒。どれだけスベっても、打ち上げで飲んだら忘れられた。うれしいことがあったらもっと楽しくなれた。 「稼いだ金は、全部、酒に使ってました」 夜通し飲んで収録に遅刻するのはまだマシで、冬に路上で寝て何度も凍死しかけたり、酔った勢いで財布を川に投げ捨てたり。運転免許証を27回再発行し、偽造グループと疑われたこともある。 いっこうに仕事は増えなかった。既に結婚して子どももいたが、家庭からも逃げていた。 酒を飲めば、そんな現実から目を背けられた。
忘れられない息子の泣き顔
いまだに忘れられない思い出がある。 「その日は僕が息子を保育園に送る係で。『明日は自分が送るから』と妻にも言って。だけど、芸人たちと夜通しカラオケで盛り上がって、朝10時ぐらいに帰ったんです」 「もう出るから早く帰ってきて」というメールが、妻から何通も入っていた。 すぐに夫が帰るからと子どもを置いて、急いで仕事に出かけたらしい。 部屋に入るなり目に飛び込んできたのは、大便まみれで大泣きする当時3歳の息子だった。慌ててオムツを交換して保育園に送ったが、酒臭さをその場で叱られた。妻も当然、激怒。なによりも自分が情けなかった。 「約束していたのに僕は奥さんが保育園に届けたと思い込んでいたんです。だからビックリしてね。いまだに夢に出てくるんですよ、息子のグシャグシャの泣き顔が。ずっと忘れられないんです。いまだに申し訳なく思っています」 稼がず子の世話もせず、飲み歩く夫を妻が見限るのは時間の問題だった。ある日、妻子とともに家から荷物が消えていた。実家の父が、離婚届を持った妻の訪問を電話で知らせてきた。捨てられたことに気づいた。 それでも酒はやめられなかった。