司馬遼太郎・生誕100周年 「シバスコープ」はプーチン登場とウクライナ戦争を予言していた? そのロシア観を考える
司馬さんのロシア観
さて僕の手元に『ロシアについて―北方の原形』(司馬遼太郎著1986年文藝春秋刊)と題する一冊の本がある。しばらくその内容を紹介したい。 当時はまだソビエトの時代であったが、司馬さんの視線は徹底してソビエト以前のロシアに、その空間に、その大地に向けられている。革命についてもマルクス主義思想についてもまったく触れていない。むしろ触れないことによる批判性を感じた。彼の脱イデオロギー的なリアリズムとロマンティシズムは、経済成長期のビジネスに邁進する企業戦士には強く支持されたが、一部左翼からは批判の対象でもあった。 「人類の文明史からみて、ロシア人によるロシア国は、きわめて若い歴史をもっていることを重視せねばならない(中略)若い分だけ、国家としてたけだけしい野性をもっている」「中国のように長城や防御力をもつ都市をつくるにいたらず、また西方のローマ文明のように城壁と石造城館をもつ都市国家をつくるということもしなかったということがロシア国家史の開幕を遅らせ、またその遅い開幕を内容をも特異なものにした(中略)この平原にあってつねに外敵におびえざるをえないというのが、ロシア社会の原形質のようなものになっており、いまなおつづいている」と司馬さんは書いている。 司馬さんの歴史観は常に、僕の主要な研究テーマである自然風土と建築と都市に向けられているような気がする。あるいは僕の研究が、彼の作品の影響を受けていたのかもしれない。 またロマノフ王朝末期に開明政治を推進し、地主貴族と対立し追われるように引退したウィッテ伯爵(1849~1915)の言葉を司馬さんは紹介する。 「ロシアは全国民の35パーセントも異民族をかかえている。ロシアの今日までの最善の政体は絶対君主制だと確信している。なにがロシア帝国をつくったか。それは無論無制限の独裁政治であった。無制限の独裁であったればこそ大ロシア帝国は存在したのだ」 こういった言葉は、プーチンという独裁的な大統領の登場とその「西側」に対する敵意を予言しているように感じる。