厳しい「生活保護バッシング」に耐えながら裁判に立ち向かった当事者たち 「歴史的な大逆転判決」はどのようにして生まれたか?
国が2013年から生活保護費を大幅に引き下げたのは、憲法25条が定める生存権の保障に違反するとして、全国各地の1000人を超える受給者たちが国や自治体に引き下げの取り消しを求めている「いのちのとりで裁判」。今年に入り、青森や千葉、広島など9地裁が原告の訴えを認めて支給額の引き下げを取り消す判決を言い渡している。 一方、名古屋地裁は3年半前、「生活保護基準の引き下げは国民感情や国の財政事情を踏まえたもの」として、原告の訴えを退けていた。しかし、2023年11月30日の控訴審判決では一転。名古屋高裁は引き下げを取り消し、さらに国の賠償責任を認め原告1人につき1万円の慰謝料を支払うよう国に命じる判決を下した。 「地裁での最低最悪の判決から一転、最高最良の判決となった」 原告側弁護団がこう評価する「大逆転判決」を導いたのは、原告をはじめとする当事者の声だった。
病院の会計窓口で聞こえた「この人、ナマポだから」の声
「素晴らしい判決だったが、不思議と涙は出なかった。やっと認められたか、という気持ちが強い」 判決後、名古屋市内で開かれた報告集会では「歴史的な大逆転判決だ」と弁護団や支援者が喜びに沸いた。熱気あふれる会場に集まった報道陣を前に、原告の一人である澤村彰さんは静かに語った。 澤村さんが生活保護を利用するようになったのは2011年からだ。 派遣社員として静岡県の工場で働いていた際に、長時間労働や昼夜の二交替勤務が続いたことで心身に不調をきたした。心療内科で処方された薬を服用しながら、なんとか勤務を続けていたが、同棲していた女性と別れたことを機に、以前住んでいた愛知県豊橋市に戻る。しかし仕事や住まいを思うように見つけることができず、ホームレス状態に陥ってしまう。澤村さんはなんとか地元の支援団体とつながり、生活保護申請をしてやっとアパートで暮らせるようになった。 「生活保護を受けて良かったのは、安定して通院できるようになったこと。派遣社員時代は派遣される工場が頻繁に変わり、労働時間も不規則だったので、職場の近くで行ける時間に開いている心療内科に駆け込むのが精一杯。とても継続した治療を受けられるような状況ではなかった。適切な治療を受けられ、デイケアなど回復に必要なプログラムも利用できるようになったことは本当にありがたかった」 生活保護は澤村さんの暮らしを立て直すのに大きく役立った。しかし一方で、受給者であるがゆえに傷つけられる経験も少なくなかったという。 「風邪をひいて内科にかかったら、会計窓口の向こうから『この人、“ナマポ(生活保護受給者に対する蔑称)”だから』と言う声が聞こえた」 生活保護を利用しているというだけで、世間から蔑みの対象とされているのだと実感した。2012年には、さらに生活保護受給者への風当たりが強まる出来事が起きる。生活保護バッシングだ。「芸能人の家族が生活保護を受給していたという報道をきっかけに、政治家が『生活保護は恥』などと公言し始めた。SNSでそれに同調する声が高まるのを見た時は、本当に辛かった」 この年の衆院選で自民党は「生活保護の給付水準を10%引き下げる」という公約を掲げて圧勝。政権に復帰した。澤村さんも当初は「国の財政が苦しい中、保護費の引き下げはやむを得ないのでは」と感じていたという。「しかし、その後、国は自民党に合わせるために物価が大きく下がったように見せかける計算をしているようだと知りました。こんなことが許されていいのかと、原告になることを決めました」 しかし名古屋地裁は「自民党の政策は、国民感情や国の財政事情を踏まえたもの」であり、「引き下げに自民党の公約の影響があったとしても違法とは言えない」という判決を下して原告の訴えを退けた。