厳しい「生活保護バッシング」に耐えながら裁判に立ち向かった当事者たち 「歴史的な大逆転判決」はどのようにして生まれたか?
いい加減に決められた自分たちの生活
裁判所まで自民党に「忖度」しているのか。司法の独立性が疑われ大きな注目を集めた名古屋地裁判決。その判決文の中には、澤村さんがどうしても承服できない一文があった。 澤村さんら原告は、生活保護基準の引き下げによって憲法に定められた「健康で文化的な最低限度の生活」を営むことが困難になったと主張するため、自らの家計の状況を陳述書として提出し、法廷で訴えてきた。 「判決では僕たちが『カラオケや日帰り旅行に行っていた』ことを理由に、最低限度の生活は下回っていない、とされていた」 澤村さんは、生活保護受給者たちが人目を気にして家にこもりがちになってしまうことが気になっていた。そこで、仲間で集まり一人500円ずつ出し合い、短い時間だけでもカラオケや食事を楽しむ会を月に一回ずつ開催していたのだ。旅行も毎月少しずつ積み立てたお金で、年に一度行っただけだった。「それを贅沢をしているかのように解釈されたことは、決して受け入れられなかった」と語気を強める。 「最低賃金で働く人や、年金生活の人よりも生活保護費の方が高くてずるい、と批判されることもある。国も、一般の低所得世帯と生活保護世帯の収入を比べて生活保護基準を決めている。それでは際限なく『最低限度の生活』の基準が下がり続けることになってしまう」 控訴審では、原告が国の主張する基準引き下げの根拠の乏しさや矛盾を厳しく指摘するも、国側は有効な反論もできず、のらりくらりと追及をかわすにとどまった。証人として出廷した当時の厚労省の担当者も「覚えていない」「証言できない」と繰り返すばかりだった。弁護団は「今度こそ勝てる」と手ごたえを感じていたが、控訴審の途中に行われた報告会に臨んだ澤村さんの表情は暗かった。 「これほどいい加減に自分たちの生活を決められているのかと思うと、証言を聞くのが苦しかった」 涙をこらえ、絞り出すように訴える澤村さんの姿に、弁護団も支援者も改めて裁判を戦う意義を強く感じていたようだった。 折しもコロナ禍で仕事を失うなど、生活に困窮する人が急増した時期でもあった。厚労省や自治体はパンフレットやホームページで「生活保護の申請は国民の権利です。ためらわずに自治体までご相談ください」と広く伝え始めた。 「コロナ禍で初めて生活保護申請した人たちは『これだけしかもらえないのか』『この金額では生活できない』と驚いていた」と澤村さんは当時をふりかえる。