追悼…赤ヘル黄金期築いた古葉竹識氏の鉄拳制裁と優しい人情…全員が名将を囲んで泣いた山陰への“勇退”バス旅行
新聞報道で、選手が契約更改でもめていることを知ると、松田耕平オーナーのもとを訪れ、「もう少し上げてやってくれませんか」とサポートした。その話は伏せられていて、ずいぶん経ってから経理担当が教えてくれた。 私たちは、赤ヘル軍団と呼んでいたが、弱小チームを常勝軍団に変えたのは猛練習である。選手は宮崎の日南キャンプで日が暮れるまでグラウンドにいた。スポーツ報知の広島担当としてプロ野球記者を50年以上続けたが、本格的な夜間練習を初めて取り入れたのはカープだったと思う。 一度、宿舎に帰って夕食を食べた選手が、再び球場に現れ、室内練習場に薄暗い照明をつけて、夜の8時、9時まで打ち込むのだ。しかも強制ではなく、高橋、山崎、長嶋ら当時の若手が順を争いマシンを取り合いした。高橋、山崎、正田と揃ってスイッチヒッター。普通よりも練習量が倍必要だった。いつしかそれがチームの伝統になった。 古葉氏と最後に逢ったのは今から5年前。緒方孝市監督率いるチームが25年ぶりの優勝を目前にしていた。私は広島市内の喫茶店で古葉さんを取材した。 古葉氏は「バットスイングを見ていると、どれだけの練習量を積んでいるかわかる」と言い、猛練習のルーツについて話を始めた。 「1975年にルーツ監督が退任されて、守備コーチから監督に就任したのですが、来年、再来年を考えたとき、練習量に裏づけされたものがないと勝てない、と考えたんです。だから、とことん練習をしました。そして戦術的に使ったのは機動力とセンターラインを軸にした守備力の向上です。相手の隙をつき理想的な展開のゲームに持ち込む広島野球の原点です」 今でも脈々とチームに受け継がれている伝統である。 あの山陰の夜…最後に古葉氏が挨拶をした。どんな話だったかを正確には覚えていないが、生真面目で古葉氏らしい感謝の言葉にあふれたスピーチだったと思う。同行した古葉軍団と言われるコーチの方々も、我々報道陣も、全員が泣いた。カープの監督として11年間ユニホームを着て、弱小軍団をここまで強くしてくれた名将への尊敬の気持ちと、どんな質問にも怒ることなく「駒ちゃんの言う通りだよ」と報道陣を「共に戦う戦力だ」と認めてくれた人への感謝の思い、そして勇退する寂しさ…いろんな思いの詰まった涙だった。古葉氏の訃報に触れ、あの島根の夜のことを思い出して熱いものがこみ上げてきた。古葉さん、ありがとう。そして、さようなら。 (文責・駒沢悟/スポーツライター)