俺らが大切にしているのは「今」――35周年を迎えたJUN SKY WALKER(S)が語る「昔のことはグチグチ言わない」 #昭和98年
しかしジュンスカは解散から10年後、再結成した。ふたたびメンバーを結びつけたのは、ドラムスの小林だ。 「ちょうどデビュー20周年だったんですよ。僕は解散してから別に『ジェット機』っていうバンドもやっていたので、自分から旗を振って『再結成しようよ』とは言えなかった。そこを小林が、メンバーに声をかけて、久しぶりに会う店の予約もしてくれて。最初はみんな、緊張してあんましゃべらなかったね(笑)」(宮田) 「緊張したよね。誰かが『再結成したくない』って言ったらどうしようと不安もあった。『あいつはどうなの?』みたいな探り合いもあっただろうし、きっとみんなすぐには『いいよ』と言わないかな、と。なんか変な雰囲気ではあったよ(笑)」(小林) 「結果その会で、じゃあ再結成しよう、ということになったんだけど、まだ僕はちょっと浮足立った感じというか、調整できていない気持ちがありましたね。でも実際にステージに立ったとき、ファンの人たちの待っていたという気持ちがすごく伝わってきて……」(宮田) 「そう、20周年のライブで、久しぶりにファンの顔を見たときに、『もうジュンスカは自分たちのものだけじゃないんだ』という連帯感が生まれた。あれからですね、ファンが喜ぶためにはどうしたらいいんだろうと考えるようになったのは」(森) 解散していた10年間、それぞれにとってジュンスカはどういう存在だったのか。小林が意を決して仲間に再結成を呼びかけたのは、「忘れることはできなかったから」だという。宮田は「実家のような存在」だといい、森は「一番好きなバンド」と答えた。再結成は期間限定だったが、東日本大震災のチャリティーライブを機に完全復活、今に至る。
寮生活が生んだ特殊な関係性
現在、宮田は57歳。森と小林は58歳。還暦も目の前だが、3人とも年齢は気にしないと口をそろえた。 「中学の頃からの仲間ですからね。良くも悪くも、ジュンスカで集まると時が止まるというか。学校の音楽室で、ビートルズからARB、RCサクセションとかコピーしていたときの気持ちがよみがえる」(宮田) 「そのまんまですよね。年齢はいってますけど、気持ちは変わっていない。大先輩のローリング・ストーンズやキッス、みんなまだまだやっているから、自分がガタくるまでは少なくともいけるかなと」(森) 3人は中学生のころ、東京都東久留米市にある「自由学園」で出会った。幼稚園から大学までを擁する、プロテスタントの私立一貫校だ。 「ずっと一緒だから、しかも寮生活で。これはなかなか他の人たちにはない感覚かもしれないんだけど、同じ釜の飯を食ってきているというあたりが、今も一緒にやっていられる理由かもしれない。特殊な関係なんですよ」(宮田) 当時、寮生活は厳しく管理され、朝は5時半起床、夜は9時半就寝。テレビは禁止だったが、音楽を聴くことは許されていたという。 「だから僕たち『金八先生』とか見てないんですよ。『腐ったミカンって何?』って(笑)。でも制限されたからこそ、音楽にのめり込むことができて、バンドとして成長できたと思う。思えば本当に、ピュアな少年たちですよ。ふつう中1で入って、中3で天下をとって、また高1で下っ端になって、ってやるじゃないですか。でも、僕らは、いつまでも上がいるっていう時代が5年間続くわけです。身につけた社会性も、ちょっと人とは違っていたかもしれないですね。でも言いたいことはぶつけ合うという、不思議な上下関係。この年齢になって、自分も子育てを経験してみて、ようやく『俺たちやっぱ変わってたんだな、面白かったな』って思う」(宮田)