【迷惑行為?アーティストとしての表現?境界線はどこに⋯?】遂にアイドルも摘発「無許可の路上ライブ」は「グレーな文化」として容認すべきなのか
同じ路上アーティストの中でもやはり共存できない逸脱する者は存在する。特にChapaさんは海外での路上ライブなども多数経験し、文化としての路上ライブに精通しているからこそ見えているものもある。 ■「表現する場所」としての路上 「イギリス、オーストラリアなど海外でもライセンスを取得し路上ライブをやってきたのですが、日本の路上文化の『グレーな感じ』がすごくいいなと思っているんです。ルールを決めすぎないというか。海外では、ライセンスはもちろん細かいルールがあったりと、大変なところもあります」
オーストラリアでも路上パフォーマンスのライセンスを取得し演奏していたが、あるとき、自分だけ音量が大きすぎると注意を受け半ば差別に近い形でライセンスを剝奪されたこともあるそうだ。 またそもそもライセンスの取得も難しく、1~2年待つということもあり簡単にはいかないそうだ。 それでもChapaさんが路上ライブにこだわる理由は、自身のアーティストとして音楽を表現するうえで、ストリートが大切な場所であるという位置づけからきている。
「日本でも海外でも、路上ライブをやっていると小さい子が立ち止まって嬉しそうに演奏を聴いてくれたりします。ライブハウスでは出会えないいろいろな人に聴いてもらえるんです。だからこそ、自分はこのストリートの文化を大事にしたいなと考えています」 もちろん、Chapaさんはライブハウスやイベント等でも演奏するアーティストである。 だが、ライブハウスにはない出会いが路上にはあり、偶然その場に居合わせた人々に自身の音楽を楽しんでもらおうという考えが根底にあるわけだ。
そもそも路上ライブはグレーなものなのだろうか。それは、路上ライブそのものは法的には明確に禁止されているものではないということだ。 取り締まりの対象となるのは道路交通法違反や地方公共団体による条例違反だろう。路上ライブそのものを禁止し罰する法律はない。だからこその「グレーな文化」であるといえる。 ここで、少し例を出すので想像してもらいたい。 かなり極端なたとえになるが、駅前の広場でひとり、アカペラで歌っていたとする。男性でも女性でもいい。それもかなりの美声だ。