「東アジア流行文化共同体」の興隆に期待したい
文化共同体と安全保障
現在の東アジアは、アメリカを中心とする西側の中国包囲網(拡大すれば北朝鮮さらにロシアやイランも含めた国々に対する包囲網)に組み込まれている。特に日本は、日米安全保障条約によって、軍事的にアメリカと密接に結ばれ、それが外交にも影響を及ぼしている。 しかし実は各国とも、経済活動はできるだけフリーでありたいと考えている。 僕はこれまで、日本の立場として、軍事的にはアメリカとの同盟を重視する、経済的には全方位的に交流する、文化的には日本の特質を守る、と論じてきた。ここで「東アジア流行文化共同体」を唱えるということは、そこにもうひとつのギアを加えるということだ。若者を中心としたポップ・カルチャーの共通性というギアは、経済以上に人々の心を結ぶ力をもつ可能性があるのではないか。かつてベルリンの壁を崩したのは、西側のポップ・カルチャーの力であったという考え方もある。 もちろんそこに東南アジアやインドも加わっていい。そうなると、かつての大東亜共栄圏に似たような発想であるが、軍事でも経済でもなく、若者を中心とした流行文化というところがポイントである。もちろん、どこかの国が盟主となるというような発想はもつべきではない。そして重要なことは、東アジアの流行文化は欧米を排除しない(実情としてできない)ということだ。そういった幅広さが、この地域の長期的な安全保障につながることは明白である。 東アジアが、欧米を排除しない文化共同性を構築すれば、欧米主導の普遍性に代わる、真の地球的普遍性に一歩近づくといえるのではないか。 東アジアのピンチをチャンスに変えるのだ。これまでの歴史的怨念を払拭する若いセンスに期待したい。