「東アジア流行文化共同体」の興隆に期待したい
伝統・クラシック・流行――文化の歴史的ダイナミズム
明治以後、日本がヨーロッパ文化のいいとこどりをしたことは前に書いた。 ヨーロッパは中世から、宗教と科学と芸術の世界にラテン語という共通言語が存在し、そのことが知的分野の近代化にとって大きな原動力となったと思われる。すなわち政治経済では分かれていても文化的には一体で、近代文化においても国による分野の分担が感じられる。イタリア・ルネッサンスが近世近代文化の淵源で、美術はフランスで、音楽はドイツ語圏で、文学はロシアと東欧で発達したという具合だ。 そして明治以後、日本の美術家の多くはフランス語を、音楽家の多くはドイツ語を、文学者の多くはロシア語を学び、つまり近代日本はヨーロッパ文化のいいとこどりをしてきたのである。欧米による植民地化を経験した国は、どうしてもその宗主国の文化と自国の伝統文化との相剋が主たる問題となって、日本のようなわけにはいかなかった。 そして現代日本ではすでに、そのヨーロッパ各国からの文化がクラシックな文化として定着している。さらに戦後は、アメリカからのポップな文化の洗礼を受けた。つまり現代日本では、江戸時代までの伝統文化と、明治以来のクラシック文化と、戦後のポップな文化とが同居しているのだ。ここで流行文化と呼ぶのは、戦後アメリカから入り、日本発の文化も加えて、主として若者に広がったポップ・カルチャーを指すのであり、それが韓国にも、台湾にも、中国にも広がっているということである。 世界の文化史には、文化地政学ともいうべきダイナミズムが存在し、各国家の軍事力と経済力による支配力と密接な関係がある。たとえばスポーツという文化においても、かつて大英帝国が支配したオーストラリア、ニュージーランド、南アフリカなどではラグビーが盛んで、アメリカの力が強く及ぶ、中南米や日韓台などでは野球が盛んである。 その意味で、戦争と文化は密接な関係にあるが、重要なことは、文化が戦争の結果を左右する、あるいは逆転する可能性があるということだ。これまでにもこの欄で書いてきた「超戦略」とは、そういった「文化を基本にした長期的な国家戦略」の意味である。 ここで「東アジア流行文化共同体」を、このような長期的な歴史の必然としてとらえてみたい。