「もう一回、自分たちのグラウンドで練習したい」能登半島地震で被害 輪島高野球部の「終わらない夏」
7月30日、甲子園に出場する49校が出そろった。その18日前、石川県立輪島高校野球部は初戦の金沢龍谷高戦に挑んでいた。 【衝撃画像】ガレキでふさがれてしまった輪島高校の練習場につながる道 1-11と大きくリードを許した六回2死。カウント2-2から投じられた外角高めの直球に、代打で起用された主将、中川直重のバットが空を切った。6回コールド負け。試合時間1時間43分で輪島の夏が幕を閉じた。 「正直、2月くらいには『もう、最後の夏の大会に出るのも無理じゃないか』って思ってました。そこから、たくさんの方々に支えられて、監督もいろいろと動いてくださって、野球ができるようになって。感謝しかないです。最後まで続けてよかったと思いました」 中川は神社である実家周辺が被災し、強制避難区域となったことで、ヘリコプターでの救出を経験した。金沢への避難期間が長く、輪島市内の仮設住宅へと居を移したのは6月ごろ。満足に学校へ通えない状況から、金沢市内の高校への転校を考えたこともあったという。その気持ちを翻意し、輪島へと戻ってきた。 「やっぱり、輪島が、輪高野球部が好きだったからですかね」 夏の開幕が迫っていた7月初旬、私は輪島市を訪ねた。北陸自動車道の金沢東インターチェンジで下り、「奥能登」と呼ばれる石川県珠洲市、輪島市方面に向かう際に通るのが、自動車専用道である「のと里山海道」だ。 この道の一部には、輪島市が舞台になった、NHKの連続テレビ小説『まれ』のオープニング曲である「希空~まれぞら~」が流れる「おとのみち」という区間が設けられている。 道路に配置された溝をタイヤが通過すると、音が流れる仕組みの音響道路で、県が’15年に設置して以来、国内最大の音響道路となっている。距離にして1キロ強の「おとのみち」だが、今年元日に発生した能登半島地震で大規模崩落に見舞われた。復旧が進められている今も、ところどころに片側交互通行区間があり、メロディーもとぎれとぎれとなる。断片的に車内に響くメロディーは、復興が進みつつも、それがまだ道半ばであるという事実を、痛切に感じさせた。 ’24年1月1日16時10分。輪島野球部の監督である冨水諒一は、同県のかほく市にいた。 激しい揺れを感じ、急いで情報を収集する。当初はその日のうちに輪島市内の自宅に帰るつもりだったが、前出の「のと里山海道」の惨状をテレビで目撃し、帰宅を断念。姉夫婦の自宅に避難させてもらった。もっとも、このときは事態を深刻には捉えていなかったという。 「前回の17年前の(能登半島)地震のときも、『すごい状況になっている』と聞いて自宅に帰ったら大丈夫だったという経験があったので、今回もそうあってくれるんじゃないかと思っていました」(冨水)