「もう一回、自分たちのグラウンドで練習したい」能登半島地震で被害 輪島高野球部の「終わらない夏」
野球部の活動再開は2月2日。冨水が金沢市内の仮設住宅に入居できるようになり、週末は仮設住宅を拠点に、金沢市内の球場の室内練習場などを借りて練習を重ねていった。輪島の校舎への被害もあり、登校再開が遅れていた時期でもある。 学校の授業が再開されてからも、練習は困難を極めた。野球部のグラウンドが使えないならば、と校庭での練習を模索するも、自衛隊の車両の拠点となった。室内練習場も避難所となっていたため、ウェートトレーニングもできなかった。 3月の練習試合解禁以降は、冨水は朝4時に金沢から車を走らせ、輪島市内の部員たちと合流し、試合後は再び長距離を運転して、部員たちを送り届ける。今までは当たり前にあった「野球ができる環境」を作ろうと奔走した。 「今、このために指導者になったんだ、と思いました。野球が好きな子たち、野球がしたい子たちのために、野球ができる環境を作る。それが自分の役割で、野球をなくさないために指導者の自分がいるんだって」 周囲の支えにも気づかされた。 活動再開にあたってのネックとなったのが、場所に加えて「お金」である。震災で自宅が倒壊し、野球道具一式を失った部員もいる。練習環境を整備するために買い足さなければならない道具もあるし、練習場所を借りるための資金もいる。そんな状況を救ったのもまた、野球でつながった人間関係だった。 昨年12月に冨水が富山県で開催された説明会に参加し、今年度から石川でも発足させようと準備を進めていた、高校野球の私設リーグ「LIGA Agresiva(リーガ・アグレッシーバ)」からは、昨夏の甲子園を制した慶應義塾、同8強のおかやま山陽ら、全国の参加校から約107万円の義援金を贈られた。冨水が言う。 「主催する阪長友仁さんの考え方に惹かれて、年末に富山で行われた勉強会に参加させてもらいました。まだ本格的に参加する前にもかかわらず、本当に手厚く支えていただきました。義援金のおかげで、例年と変わらない部費でチームを運営することができています」 同じ輪島市内に所在するライバルチームも温かった。今春のセンバツ出場校である日本航空石川は、自チームの練習終了後に、グラウンドを貸してくれた。前年秋の石川大会準々決勝で1-6で敗れたライバルだったが、同校の監督である中村隆と冨水がかねてから野球談議を交わす仲だったことがきっかけだった。