「もう一回、自分たちのグラウンドで練習したい」能登半島地震で被害 輪島高野球部の「終わらない夏」
支援に触れる日々は、今までの自分を顧みる時間でもあった。 「本当に自分って最低だなと思うんですけど、東日本大震災のときも、熊本地震のときも、何もしなかったんです。他人事、余所事になっていた。それなのに、いざ自分がその立場になったときに、こんなにもたくさんの方々が温かい言葉をかけてくださったり、支援してくださった。人は誰かに支えられて生きている、本当に“生かされている”んだと実感できました」 そう語る冨水にとって、現3年生は、震災の有無にかかわらず、思い入れの深い代だった。 彼らが中学3年だった’21年9月、星稜を春夏25度の甲子園出場に導き、石川の名門に育て上げた山下智茂が、母校である門前高校の野球指導アドバイザーに就任する、と発表された。同じ輪島市内の公立校が名将を招へいしたことで、市内の野球少年たちの目は途端に門前へと向いた。それでも、輪島を選んでくれたのが、4人の3年生の選手だった。 「そういった事情があったので、輪島を選んでくれた3年生たちに、『来てよかった』と思ってもらわないといけないと、ずっと考えていました」 3月下旬には、仙台育英を率いる須江航の発案で、同じく被害が甚大だった珠洲市の飯田とともに、3日間仙台に招待され、練習や試合で交流した。 仙台育英の部員たちとは、その後も交流があり、LINEで連絡を取り合うだけでなく、宮城大会の決勝には3年生全員で応援に駆けつけた。震災で失ったものは数えきれないが、そこでしか得られないものも手にできた。 思い残したことがあるとするなら。最後に中川に問うた。 「もう一回、自分たちのグラウンドで練習したいっすね。やっぱり。1年生は、まだ一回も輪高のグラウンドで練習できてないですし。もう一回、みんなでグラウンドに集まってやりたいですね」 冨水曰く、中川たちの卒業までに、グラウンドの復旧が間に合わない可能性もあるという。中川たちの最後の夏の大会は幕を閉じた。だが、もう一度自分たちのグラウンドに立つまでは、本当の意味で彼らの高校野球は終わらないのだとも思う。 どれだけ時間がかかるかはわからない。それでも、震災後も前に進み続けた彼らがホームグラウンドに立ち、「輪高に来てよかった」と思う日が来ることを願う。 (文中敬称略)
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