田舎が嫌いだった少女が今は“自然の中で暮らす”JAZZシンガーに 田舎だからこそできる音楽を
イラク戦争を機に帰国して国内で活動
「留学中にイラク戦争が始まったこともあり、両親から帰ってこいと言われまして。その頃には、ある程度の語学力も身についていたので、帰国しました」 イラク戦争が始まったのは2003年3月。2001年9月にはアメリカ同時多発テロがあり、日本も同年12月から自衛隊をPKOとして派遣した背景もありました。両親としては、不安が拭えなかったのではないかと考えます。 帰国してからは日本国内でプロのJAZZシンガーとしての活動を開始した木原さん。帰国直後には、北島三郎さんや舟木一夫さんのバックコーラスも経験したとのこと。 しかし、バックコーラスとしてツアーに参加することは、拘束期間も長いため木原さん独自の音楽活動ができませんでした。葛藤の末、バックコーラスを辞めてソロとして活動する道を選択します。
野生のカンのお陰で挫折はありません
帰国から約3年後、木原さんはプロのJAZZシンガーとして活躍しはじめます。2011年に関西若手ジャズミュージシャンが集結したセッションアルバム「PRECIOUS (オムニバス)」に参加。翌2012年にはソロアルバム「Seasons」を発売しています。 2023年にはピアニスト日吉直行さんとのユニット「hoshibune」のライブCDなどを発売するなど、順風満帆に活動中です。とくに大きな目標を掲げることもない代わりに、現在まで大きな挫折の経験も無いとのこと。 「小さい頃から田舎で育ったことで、野生のカンが鋭くなったのかな?と思います。カンのお陰で、今まで大きな失敗というものは経験したことがありません。だから、挫折も多分無いですね(笑)」 常に前向きな木原さんの魅力に、多くの人々が引き寄せられているのがよくわかる言動です。そんな木原さんですが、若い頃には都会に憧れていたにもかかわらず、話の節々からは余呉への地元愛が感じられます。どうして田舎に移住することになったのでしょうか。
田舎の生活が一番落ち着くと気がついた
帰国してから約10年間、木原さんは関西を中心にジャズに没頭する生活を送っていました。余呉に移住するきっかけとなったのは、京都で開催されたイベントを通じて旦那さんと出会ったことだと言います。 「たまたま出会った人が、名古屋から単身で余呉に移住した男性でした。都会での生活に憧れていたのですが、小さい頃に暮らしていた田舎の生活が一番落ち着くことに気がついて、『田舎に戻りたい』と思うようになりました」 田舎暮らしの良さは大人になってから気がついたとのこと。余呉に移住してからも、音楽活動の軸は関西圏でした。したがって、平日は田舎で生活し、週末は京都や大阪で仕事をこなすという二重生活を送っていたと言います。 二重生活を終え、本格的な田舎暮らしに主軸を置くようになったきっかけは出産でした。木原さんの住む余呉町には余呉湖や余呉高原リゾート・ヤップなどがあります。余呉湖は天女の羽衣伝説や菊石姫伝説などが残っている美しい湖で、季節と共に自然の中で感性を研ぎ澄ませる環境です。 田舎暮らしはのんびりした生活だけではなく、音楽活動にもよい効果をもたらします。