29歳で目指した「絵本作家の夢」、なんと60歳で叶えた…!「還暦の新人」に聞く「大人になってからの『夢』の追い方・叶え方」
29歳で絵本作家を志す
小さい頃から絵を描くことが好きだった。高校で美術部にはいり、将来は画家になりたいと美術系の専門学校進学を希望したが、両親に「絵を描くことで食べていくのは大変だよ」と諭され、ひとまず家業を継ぐことに決めた。そのため、高校を卒業後に進学をするつもりはなかったのだが、担任の先生に「人生長いんやから、一度外に出てみたらいい」とアドバイスをもらい、地元を出て、専門学校で2年間学んだ。 20歳で地元に戻り、家業を手伝ったのち、縁あって子供服店を開いた。絵を描くことが好きな気持ちは変わらず、絵画教室に通っていた時期もある。 29歳の冬、スキー場にむかう車の助手席から夜の雪景色を眺めていたら、ふと頭にクリスマスの話が浮かんできた。 「この話に絵をつければ、絵本になるかも」 ひとつの物語が、はじまりから終わりまで一気に頭の中に展開された。「自分にはセンスがある!」そう確信した。帰宅してすぐにペンを持った。制作期間はふた月。全ページに色もつけ、完成した作品は40ページにも渡る大作となった。
「このままやったらあかん」44歳で自分にスイッチを入れた
「33歳の時に、双子が生まれました。双子の赤ちゃんの育児は大変で忙しく、寝かしつけに絵本を読み聞かせるのは僕の担当に。 クリスマスのお話を絵本にしてからもたまに物語が頭に浮かんでくることがあって、書き留めるようにはしていたんですが、忙しくてメモを溜めるだけで精一杯。そんな毎日でしたが、子どもたちに読み聞かせをするようになって絵本に接する機会が増えたことで、制作意欲がまた湧いてきました」 絵や物語を描くことは趣味ではなく、夢に向かってやっていることという感覚はずっとあった。「自分にはセンスがある。絶対にデビューするぞ」という心持ちは変わらなかった。そんな夢を語っていたら妻がある日、コンテストを見つけてきて応募することを勧めてくれた。 「福音館書店の雑誌『母の友』に「こどもに聞かせる一日一話」という企画があって、書き溜めていた物語を応募してみたら2回掲載されたんです。大きな自信とやる気につながりました。そこで、物語に絵をつけて絵本のコンテストにも応募するようになりました。しかし、結果は落選続き。僕の絵に力がないんやな、と思いました。40代に入ってからのことです。 若い時はいつまでも人生が続いていくような感覚があったけれど、急に残りの人生を意識するようになりました。そして、これからの人生を考えると、自分にとって好きなこと、やりたいことをせなあかんなって思ったんです」 はじめて夢に真剣に向き合ったタイミングだった。 「今、一生懸命に取り組まないと、一生後悔すると思いました。それで、毎日ダラダラとテレビを見て過ごしていた時間に絵を勉強しようと思い立ち、自己流ですが好きな作家さんの画集を買ってきて、その模写をはじめました。店番をしながらも、お客さんがいない時は机に向かったり、時間を有意義に使おうと意識。絵画教室にも通おうかと考えていた矢先、通信教育で絵本作りが学べる講談社フェーマススクールズ(当時)の存在を知って、もう一度真面目にイチから学び直そうと受講を決めました」 そのときみやもとさんは44歳。双子の子どもたちは中学校入学を控えていた。 「子どもたちも、もう中学生になる。ここで僕も本腰入れてやらなあかんな、と。フェーマススクールズはちょうど3年コースで、中学生と同じ時期に卒業できるのも良かった。でも、決して安くはない受講料。最後に背中を押してくれたのは妻でした。妻としては、父親である僕が仕事以外に頑張って勉強している姿を見せたら、子どもにも良い影響を及ぼすかもしれないという思惑もあったようです」 バチッと夢に向かって自分にスイッチが入った感覚があった。通信教育のテキストは分厚く、次々と課題を出された。授業動画はビデオを再生する時代で、課題を郵送すると、添削されて返ってきた。基礎を学び、創作の根気強さが身についた。 「年に1、2回はスクーリングがあって、先生方が関西まで来てくださり、直接指導を受けました。また、受講者を対象にしたコンテストもあって、そこで入賞すると表彰式に呼ばれます。他の受講者に会うことができ、通信教育で学びながら絵本作家を目指す仲間ができました。今でも連絡を取り合っているひとりとは、いつか一緒に個展をやろうと夢を語り合っています」