あの日は、つい、政局について考えてしまった──突然の事故から6年、元自民党総裁・谷垣禎一の今
思いがけず車椅子生活となり、政界を退いて、月日が流れた。 今の谷垣にとって、楽しみや喜びとは、何なのだろうか。 「若い人に、『先生、年を取って面白いことってありますか』と聞かれたことがあります。それでいろいろ考えてみるとね。年を取っても、動けなくなっても、季節の推移というものは感じることができるんです。うちなんか狭い庭だけど、ああ、ウメが咲いたな、カイドウが膨らんでいるな、とか。これまで漠然と見ていた小鳥も、いろんな種類が、季節ごとにやってくる。鳴き声もみんな違ってね。季節のうまいものを食べながら酒を飲む、これもいいですね。日本の四季の素晴らしさを、あらためて知ることができるのは、歳を重ねたからこその喜びかな。……こんなことを若い人に言っても、理解してもらえるかどうか分かりませんが」 これからは和歌や中国の古い詩、歴史の本などをもう一度じっくり読み直しながら、毎日を過ごしていきたい。そう言うと谷垣は年季の入った国文学の本を手に取り、大事そうにページをめくった。
あんまり悲観的に捉えるなら、政治という仕事をやめた方がいい
「一票の格差」ばかりを取り沙汰するよりも、これからの日本にとってどんな選挙制度、政治制度を作るかを考えるべき、と谷垣は言う。そのためには、学問やジャーナリズムにおける研究だけではなく、政治経験の知識を蓄積する仕組みが必要だとも指摘する。 「肝心のプレーヤーである政治家たちにこそ、うまくいったこと、いかなかったこと、政治の痛切な記憶を蓄積するシステムが必要。自民党にはある程度、あると思う。ただ現在の野党は、離合集散が激しく、その部分が乏しくなっている。そこが、有権者たちから見ても分かりにくく、決め手に欠けるのでは。だからって『今から俺、立憲に行って、その仕事するよ』というわけじゃないですよ。そんなこと言ったら同期の菅直人から『てやんでえ、このやろう』って言われちゃう(笑)」
円安、物価高。環境とエネルギー、少子高齢化、貧困、国防……。 さまざまな課題を抱える令和の日本の姿を、どう捉えているか。悲観しているか、それとも、楽観視しているのか。最後にそう尋ねると、谷垣は深くうなずいた。 「それは非常に難しいですけど、あんまり悲観的に捉えるなら、政治という仕事をやめた方がいいですよ。ある程度楽観的に考えて、ダメだったら、もう少しここをうまくやろう、ここを手直ししよう、という発想で、繰り返しやるということですね。大学の頃、山岳部にいたんですが、当時は雨でも焚き火を起こせなきゃいけない世界でね。 ♪それ16回、まだダメだ、燃えるはマッチに新聞紙、けむくてならぬ、この薪さ♫ ……なんて歌いながら、山に登ったもんです。そういうことです」 「谷垣禎一公式サイト」を開くと、「皆様に長年にわたり多大なるご支援を賜り、誠にありがとうございました。心より厚く御礼申し上げます。」という一文と、名前だけが記されている。この真っ白な画面に、谷垣の人生観、引き際の美学があらわれている。 ____ 谷垣禎一(たにがき・さだかず) 1945年、京都府福知山市生まれ。麻布中学校・高等学校を経て、東京大学法学部に進学。卒業後、司法試験を数回受験し、弁護士に。父・専一の死去に伴い、地盤を継承。旧京都2区補選で衆議院議員に初当選。京都5区選出、当選12回。国家公安委員会委員長、産業再生機構担当大臣、財務大臣などを歴任。野党時代の2009年から自民党総裁を務めるも、政権復帰を目前にした2012年の総裁選で出馬を断念。政権復帰後は法相、党幹事長として安倍晋三元首相を支えた。2016年、趣味のサイクリング中に転倒し、頸髄を損傷。幹事長の職を辞す。翌年、正式に政界引退を表明。