あの日は、つい、政局について考えてしまった──突然の事故から6年、元自民党総裁・谷垣禎一の今
あの日は、つい、政局について考えてしまった
2016年7月16日、その日は奇しくも前の日曜日に参院選が終わったタイミングで、東京知事選が告示されていた。「日本サイクリング協会」の会長を長年務め、サイクリング愛好家たちの間でも広く支持をされていた谷垣は、愛用するヴィンテージのロードバイクにまたがり、皇居周辺を走っていた。 「常々、偉そうに言ってたんですよ。自転車のいいところは、無心になれるところだと。路面を見つめて、前へ走ることに専念すれば、日頃の憂さも晴らせる。仕事のことなんて考えるな、なんてね。でもあの日は、つい、政局について考えてしまった。あそこは大きな段差があるなってことは、分かってたんですけどね。落っこちた瞬間のことは、全然覚えていないんです」 どれくらい倒れていたかも、分からない。途中で気がついて、起き上がろうとしたが、まったく体が動かなかった。
「皇居周辺は、ジョギングしている人がたくさんいてね。医療関係者の方がおられて、助けようとしてくれたんですけど、思うように動けないんです。これはちょっと変だな、と思っているうちに、またわけが分からなくなって……だいぶ救急車であちこち、病院を探して回ったようです」 入院は一年以上に及んだ。意識を取り戻して、一番はじめに考えたことは、なんだったのか。 「集中治療室に、2ヶ月近くいたのかな。かなりダメージが大きかったんだと思います。あの時私は、自民党の幹事長でした。ああ、もうこの仕事は続けられない、すぐに辞めなければ、とそう思いました。それを、当時首相だった安倍さんに伝えてくれと」 幹事長の職を辞めたくない。そうは思わなかったか、と尋ねると、 「まったくありません。これでは仕事ができない。そう思っただけです」 谷垣はキッパリと答えた。 「どんな人も、突然仕事を続けられなくなるということは、起こり得るわけです。脳卒中などの大きな病気にかかるかもしれない。いろんなことがあると思いますよ。私の場合は自分の、ふっとした一瞬の気抜けが、そういうことになったんだろうと思います。病気でも事故でも、損傷を受け、障害を負う方というのはたくさんいらっしゃいますけど、はじめはみんな障害者になるということがどういうことか、分からないんです。私のような脊髄損傷でも、いろんな段階があって、人によってみんな違いますしね。障害者になった第一歩は、『今の自分の状況はどうなっているんだろう、何ができるんだろう』。そこから3か月後、2年後と、考えることはどんどん変化しました」