あの日は、つい、政局について考えてしまった──突然の事故から6年、元自民党総裁・谷垣禎一の今
障害者の立場で政界復帰をすることも考えたが
ショックだった。受け入れ難い事実だった。どうして自分が。……そういった型どおりの言葉を、谷垣は一つもこぼさない。もちろん人間なのだから、いわゆる“障害受容”の段階を経たはずだ。しかし、喪失感、悲哀、後悔といったマイナス感情にフォーカスして語ることはない。 長期入院中は何を考えていたのかと問うと、嬉しそうな笑顔を向けた。
「何がしたい、と思ったこともないんです。ただ、これはいい世の中になったなと。私が学生の頃は、LPレコードなんて、けっこう高かったんですよ。バッハの全曲が聴けるなんて、よっぽどお金がないと無理だと思っていた。ところが今、YouTubeで探すと、全部聴けちゃうと。おー、ついに俺はバッハの全曲を聴いたぞ! ということが、入院中の体験です」 谷垣が実質引退を決めたのは、事故直後ではなく、2017年の9月のことだった。それまでは、リハビリを続け、障害者の立場で政界復帰をすることも考えていたという。 「まだ多少役に立てることもあるんじゃないかなって、先輩の八代英太さんのような例もありますしね、希望もあったんですけど。それでも、秋に衆議院が解散することになって、これはもうだめだな、と。選挙を戦うほどの体力はなかった。もうちょっと時間があって、回復していたら分からなかったですけど。ただ、もう70歳も過ぎて、引き時を考えなければならない時期に差し掛かっていたのも事実ですから」 安倍元首相、二階元自民党幹事長をはじめ、多くの仲間が慰留したが、翻意することはなかった。 「引退して、気持ちはうんと楽になりました。政治家は揶揄されるもので、厳しい文章が世の中に溢れているでしょう。実際、政治家にもいろんな人がいて、名前は挙げませんけど、なんであんなことするんだろうなっていう事件もありますしね。でもね、全体から見ると、やっぱり曲がりなりにも、5万とか、10万もの人たちが投票してくれて、議員になるわけです。長く続けている人、一度失敗してもふたたび戻ってくる人、いろんな人がいてね。偉い学者の先生の議論とは違うけれど、それぞれ経験なり、説得力を持った人がたくさんいる業界なんですよ。だからそういう意味ではね、面白かったですよ。いろんな人と会えて。麻生太郎なんて個性的な人もいるし、とかね(笑)」 もし、あの日事故に遭わなかったら、どうなっていたと思うか。 この質問にも、谷垣は笑顔で答えた。