大規模伐採ではなく「自伐型」林業を――100年、200年の「山」をつくる挑戦者たち
大規模伐採ではなく「間伐」
日本の森林は、1950年代から植林されたスギやヒノキが成長したため、主伐(木材利用を目的とした伐採)と再造林の実施を政府は推奨している。主伐の場合、対象区画の木をすべて切る「皆伐」が行われることが多い。 皆伐後は再造林が必要だが、手間も費用もかかるため近年の再造林率は約3割と低迷している。各地で「はげ山」が目立つのはこのためだ。さらに山の皆伐跡地では保水能力が落ち、豪雨時に土砂崩れが多発しているという専門家の指摘もある。
一方、宮田さんや土江さんが実践する自伐型林業は、必要最小限の「間伐」を繰り返すのが特徴だ。森は放っておくと樹木の密度が高くなり、成長が止まってしまう。日陰も増えるため土壌に栄養が行き渡らず、森林は荒廃する。宮田さんは狭い範囲の伐採を適度にすることで、残った木の質を上げる。樹齢100年、200年の大木が育つ、持続可能な山づくりを目指しているのだ。 伐採した木は車で運ぶが、作業道も原則、道幅2.5メートル以下、切り高1.4メートル以下と小さくしている。大規模な皆伐をする林業家は大型の重機を通すため、道幅3メートル、ときには4メートル以上にする場合もあるが、広い作業道は豪雨時の崩落リスクが高まる。 壊れにくい作業道を作設し、自然環境に配慮した山林づくりを目指す自伐型林業。宮田さんはこう話す。 「僕にとって自伐型林業は『地域存続の切り札』。良い森をつくって、100年後に次の世代の人たちが集まった時に『宮田のじいさんは、すごい森づくりをしたなあ』と言われたいんです」
当初は苦労の連続
かくいう宮田さんも移住者の一人だ。もともとは教材などの営業販売をしていて、30代前半のころの年収は1700万円を超えた。しかし、2006年に独立してからは苦労が続き、10年に妻の実家がある美山地区に引っ越した。 翌年の東日本大震災をきっかけに、食料やエネルギーの自給自足に興味を持つようになった。そこで、15年に自宅近くの山林で自伐型林業を始めたものの、当初は苦労の連続だったという。 「まったくの素人ですから、最初は何もわからんわけです。市や県に相談しても、当時は資金面で自伐型林業家を支援する制度がなかった。本当につらかったです」 それでもあきらめなかったのは、宮田さんに「自伐型林業で地域を存続させたい」という夢があったからだ。 美山地区の総面積は、福井市の4分の1を占める。地区の約9割が森林だ。人口は10年前から2割以上減って3614人。典型的な農山村の高齢・過疎地域だが、ここを元気にするには、山の仕事を活性化させなければならないと宮田さんは考えていた。 そんな思いをいろいろな人に伝えるうちに、福井に縁のある企業が1台500万円以上の重機を格安でリースしてくれるようになった。企業が先に動いたことで行政の支援も得られるようになり、軌道に乗り始めた。