狭まる選択肢…まさかのポルティモネンセ契約破談の本田圭佑がプレーする舞台は見つかるのか?
本田は今夏に延期された東京五輪に臨むU-24日本代表へ、年齢制限のないオーバーエイジ枠で参戦する目標を2018年の夏から公言してきた。チームを率いる森保一監督にアピールするためにも、これ以上はサッカー人生のなかに空白期間を生じさせるわけにはいかない。 双方合意の上とはいえ、半ば強引にボタフォゴを退団してポルティモネンセとの交渉をスタートさせたのも、目に留まりやすいヨーロッパの舞台で結果を残すことでアピールしたいと考えたからだろう。しかし、ヨーロッパの移籍市場のほとんどは今月1日で最終日を迎えている。 ヨーロッパ各国のリーグを見渡せば、現状ではスイスとクロアチアが15日、ロシアが28日、ウクライナが3月2日、スウェーデンが同31日にそれぞれ移籍期限の最終日を迎える。もっとも移籍市場がオープンしている状態と言っても、イコール、オファーが届くとは限らない。 本田は無所属の身分で今冬のオファーを待ち、一度はポルティモネンセと契約した。ポルティマンに滞在していた1ヵ月あまりの日々を、6日の入団会見では「最後まで他のチームからのオファーも検討して、このクラブでやっていくかどうかを1ヵ月考えました」と振り返っている。 ポルティモネンセ以外からのオファーがなかったわけではない。しかし、今後ベストと判断したポルティモネンセ以上の本田を満足させるオファーが届く可能性は低いと言わざるをえない。選択肢が狭まってくるなかで、必然的に視線はヨーロッパ以外にも向けられてくるだろう。 例えばアメリカのMLSの移籍市場は5月12日まで開いている。ただ、森保監督へ直接アピールしていくベストの舞台は、4月2日まで第1登録期間が設けられているJリーグとなる。しかし、プロの第一歩を踏み出し、2007年末まで3シーズン在籍した名古屋グランパス時代以来となる日本への復帰を、本田は「正直言うと、日本という選択肢は考えたことはない」と否定したことがある。 「悪くとらえないでくださいね。日本には僕がいなくても頑張っている選手が大勢もいる。みんなで頑張れる日本はちょっと窮屈だし、海外の2メートル近い大男たちと喧嘩したい日本人というのもいるわけです。そういうところに刺激を求めていく日本人も、何人かはいないといけないというところで、僕たちの役割分担というのも職種にかかわらずあるのかな、と思っています」 移籍先を選ぶ際の最優先事項を「刺激」の二文字に求めていたのは2017年6月。イタリアの名門ACミランを契約満了で退団し、新天地をメキシコのパチューカに決める直前だった。