鹿島の内田篤人が最後まで貫いた美学…”奇跡ラストマッチ”の感動スピーチで明かした32歳で電撃引退した理由とは?
不意に言葉が途切れた。図らずも込みあげてきた涙を、懸命にこらえていたのだろう。何とか紡がれた内田篤人の声は上ずり、そして震えかけていた。 「鹿島アントラーズというチームは数多くのタイトルを取ってきた裏で、多くの先輩方が選手生命を削りながら、勝つために日々努力する姿を僕は見てきました。僕はその姿を……」 ガンバ大阪と1-1で引き分けた、23日の明治安田生命J1リーグ第12節を終えた後に、県立カシマサッカースタジアムのピッチ上で行われた内田の引退セレモニー。沈黙の後に発せられた、いま現在の自分自身に対する偽りのない思いが、20日に電撃的に発表された現役引退の理由だった。 「……いまの後輩に見せることができないと、日々練習していくなかで身体が戻らないことを実感し、このような気持ちを抱えながら鹿島アントラーズでプレーすることは違うんじゃないかと、サッカー選手として終わったんだなと考えるようになりました」 汗をたっぷり吸い込んだユニフォーム姿での、3分間あまりにおよんだスピーチ。厳重なテーピングが施されたままの右ひざこそが、アントラーズとの契約が切れる今月末をもってユニフォームを脱ぎ、月内における最後のホームゲームのガンバ戦をラストゲームに選んだ理由だった。 重度の炎症を起こしていた右の膝蓋腱に、完全復活を期して2015年6月にメスを入れた。アスリートでは症例の少ない箇所であり、術後の経過を慎重に見守る必要もあったことから、ピッチへ戻るまでに1年9カ月もの時間を要した。しかし、全盛時の感覚にはほど遠かった。 離脱する前まで不動の右サイドバックとして活躍していた、独ブンデスリーガ1部のシャルケから出場機会を求めて、2017年夏に同2部のウニオン・ベルリンへ移籍。さらに半年後に古巣のアントラーズへ、実に7年半ぶりに復帰したときの心境を、内田は引退スピーチでこう振り返っている。 「もうひと花、ふた花咲かせたいと日本に戻ってきました」 実際には出場機会が減少傾向にあったキャプテン、MF小笠原満男が長く握ってきた、常勝軍団の魂が宿るバトンを次の世代へと繋ぐ役割を強化部から託された。ドイツにいながら常に気にかけてきた、愛してやまない古巣の役に立ちたい。しかし、内田の脳裏には理想とする背中が描かれていた。 直近では39歳だった2018シーズン限りで引退した小笠原。自身が清水東高から入団した直後では、水腎症を患いながら手術を先送りし、2008シーズンの連覇に貢献したMF本山雅志。レジェンドと呼ばれる先輩たちは、言葉だけでなく背中でチームメイトをけん引していた。