内田篤人が電撃引退を発表…32歳の”レジェンド”が鹿島に残す財産
衝撃の一報にサッカー界に関わる誰もが驚き、目前に迫った別れを惜しんだ。 日本代表として2010年の南アフリカ、2014年のブラジル両ワールドカップに出場するなど、国際Aマッチに通算74試合出場。独ブンデスリーガ1部のシャルケでも長く活躍したDF内田篤人(32)が現役を引退することが20日、所属する鹿島アントラーズから発表された。 内田とアントラーズの契約は今月末で切れるため、ホームの県立カシマサッカースタジアムにガンバ大阪を迎える、23日の明治安田生命J1リーグ第12節がラストゲームとなる。試合終了後には内田の挨拶が、翌24日にはオンラインによる引退記者会見が行われる。 静岡・清水東高から2006年にアントラーズへ入団した内田は、敵地で3月5日に行われたサンフレッチェ広島との開幕戦で、クラブ史上初めてとなる高卒ルーキーでの先発出場をゲット。右サイドバックとして日本代表を含めて活躍し、2010年7月にシャルケへ完全移籍した。 2017年8月にブンデスリーガ2部のウニオン・ベルリンへ移籍するも、翌年1月にはアントラーズへ復帰した。しかし、2015年6月に手術を受け、2年近い戦線離脱を強いられる要因になった右ひざの状態がなかなか上向かず、他の箇所にも不要な負荷がかかる悪循環が繰り返された。 そもそもウニオン・ベルリンへ移籍して間もない内田を、急きょ鹿島に復帰させたのはなぜなのか。1990年代からアントラーズの強化の最高責任者を務めてきた、鈴木満取締役フットボールダイレクターは常勝軍団の歴史と伝統を、次の世代へと継がせるためだったと説明したことがある。 「(小笠原)満男が試合に出られる機会がだんだん減ってきているなかで、アントラーズの伝統という役割を演じられることを含めて、満男の次の世代でそういう存在がまだ必要でした」 実際にレジェンドとして、長くキャプテンを担ってきた小笠原氏は、39歳だった2018シーズン限りで引退する。大迫勇也や柴崎岳、昌子源ら、自分よりも後の世代がヨーロッパへ新天地を求めていたなかで、クラブから託されたバトンの重さを実感していたはずだ。 しかし、J1リーグ戦における軌跡を振り返ってみれば、愛してやまない古巣に復帰した後の自分自身に対して、おそらくは満足していなかった跡が伝わってくる。