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『うつ病とサッカー イニエスタの場合』。名声も富もアスリートの強靭さも「鬱」を防げなかった

木村浩嗣在スペイン・ジャーナリスト
発症はこのW杯決勝のゴールの1年前で3冠達成後の夏。ハルケの死が原因ではなかった(写真:ロイター/アフロ)

ヴィッセル神戸でプレーしているアンドレス・イニエスタが今年5月と先月11月は2度、「鬱(うつ)」にかかっていたことを告白した。

イニエスタが初めて鬱について語ったのは、2016年発売の自伝だったが、ここにきて連続してテレビで自分の経験を明らかにしたことでスペインでも話題になった。

SNSの浸透でサッカー選手のインタビュー自体をメディアで目にすることが少なくなっているし、ましてプライベートを口にすることはほぼ皆無、と言ってよい。選手活動に専念したバルセロナ時代を終え、アンドレス・イニエスタという人間の姿を発信することに何かの意義を感じているのかもしれない。

同インタビューではJリーグや日本のサッカーに関する感想ももちろん述べている。サッカー的にも人間的にも新天地で学んだり教えたりすることで、人生の新しい一歩を踏み出そうとしているように見える。鬱だった過去を公にすることもそのステップの一つなのだろう。

身につまされたリアルな描写。鬱だと確信

イニエスタの鬱に関する言葉で感心したのは、そのリアルさだ。

「日々が楽しめなくなり、少しずつ自分が自分でなくなっていった」「周りの人が無関係な人に見え始めた」「感情を失い情熱を失って、内側から少しずつ空っぽになっていった」「家でも何かが起こるのではないかと、どきどきした」という描写には、今書いていても身につまされるものがある。これを聞いて間違いなくイニエスタは鬱だったのだ、と確信した。まるで自分のことを語られているように思ったからだ。

実は、私も鬱だった。

3年前まで2年半にわたって心理カウンセラーのカウンセリングを受けていた。ただ、イニエスタの方が重症だったのは、練習を続けられなかったり、奥さんと映画を見に行って上映前に出て行かなくてはならなかった、というエピソードでわかった。薬も私は飲まなかったが、イニエスタは錠剤を飲んで就寝できる時が唯一の楽しみ、というような辛い時期を過ごしていたらしい。

イニエスタとロベルト・エンケの偶然の一致と共通点

11月のイニエスタの告白を聞いた時は、ちょうど『うつ病とサッカー 元ドイツ代表GKロベルト・エンケの隠された闘いの記録』(ロナルド・レング著/ソル・メディア刊12月12日発売)を訳し終え、自分の鬱の経験に節目を付けようとしていたところだった。

ロベルト・エンケとイニエスタは同時期にバルセロナに在籍し、鬱の発症時期も偶然重なっている。

エンケが最初に発症したのは03年だが2度目はイニエスタの発症と同じく09年の夏だった。イニエスタには世界的に有名なゴールが2つあるが、09年5月のチャンピオンズリーグ(CL)準決勝チェルシー戦ロスタイムのゴールと、10年7月の南アフリカW杯決勝延長戦の決勝ボレーという栄光の間に鬱が挟まっていることに、象徴的な意味を感じる。

イニエスタにとって09年の夏はグアルディオラ監督の下で3冠(リーガ、コパ・デルレイ、CL)を達成した直後。そんな栄光の頂点にいた彼を突然、何の理由も前触れもなく鬱が襲った。

同じ夏のダニエル・ハルケの急逝を鬱の引き金とする報道があるが、これは誤りだ。親友の死は病状を悪化させたが原因ではないと、イニエスタは何度も念押ししている。エンケの場合も同じ。幼い娘を亡くしたことが鬱の引き金ではなかった。イニエスタもエンケも、そして私のケースも発症の原因は「不明」。ついでに言えば、私の場合は治った理由もよくわからない(自分の体験はいずれどこかに書きます)。

イニエスタに話を戻す。

専門家の助けを。愛や情は治療の妨げになりかねない

イニエスタは専門家(心理カウンセラーや精神科医)の治療を受けることを強く勧めている。一人で苦しまないで、また家族や友人を当てにするのではなく、医療機関の扉を叩くことを訴えている。これは私も大賛成だ。

鬱は専門家でないと治せない。愛や情はむしろ治療の妨げになることがある。心理カウンセラーは家族を治療できない。父が心理カウンセラーだったことはエンケのためには何の役にも立たなかった。

イニエスタには命の恩人と呼べるカウンセラーがいる、という。私にもいる。彼は「カウンセリングが楽しみで約束の15分前に着いていた」と振り返っている。

その気持ちはよくわかる。カウンセリングにはタブーがあってはならない。カウンセラーとの何でも話せる開放感と安心感は、いかに家族や親友であろうと得ることができない。

だが、だからこそカウンセラーとは恩人であっても友人になれない。心の闇までぶつけて大丈夫なのは相手がプロだからこそ。そんなことをすれば家族関係や友人関係は壊れてしまう。鬱に専門家の助けが必要なのは本人のためなのはもちろん、周りのためでもある。

イニエスタもエンケも名声も富もある一流アスリートだった。

称賛も憧憬も金銭的豊かさも発症を食い止めることができず、代表チーム入りさせた強靭な肉体も精神も鬱には歯が立たなかった。イニエスタの告白とエンケの闘いが、より鬱を知ること――その怖さと同時に回復可能な病だと知ること――に繋がれば幸いだ。

在スペイン・ジャーナリスト

編集者、コピーライターを経て94年からスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟のコーチライセンスを取得し少年チームを指導。2006年に帰国し『footballista フットボリスタ』編集長に就任。08年からスペイン・セビージャに拠点を移し特派員兼編集長に。15年7月編集長を辞しスペインサッカーを追いつつ、セビージャ市王者となった少年チームを率いる。サラマンカ大学映像コミュニケーション学部に聴講生として5年間在籍。趣味は映画(スペイン映画数百本鑑賞済み)、踊り(セビジャーナス)、おしゃべり、料理を通して人と深くつき合うこと。スペインのシッチェス映画祭とサン・セバスティアン映画祭を毎年取材

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