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加熱式タバコ市場の牽引役「アイコス」が焦燥感を抱く理由

石田雅彦科学ジャーナリスト、編集者
拡販攻勢への必死さが見え隠れするアイコスの街頭販売所:写真撮影筆者

 加熱式タバコのアイコス(IQOS)を製造販売しているフィリップ・モリス・インターナショナル(以下、PMI)が、なぜか焦っているようにみえる。日本における加熱式タバコ市場で圧倒的な強さを誇るタバコ産業界のトップカンパニーはいったい何を恐れているのだろうか。

利益見通しを下方修正

 PMI(の日本法人)が最近、アイコスの健康影響に関する会見をそう間隔を空けずに開いた。2018年4月には日本人研究者も登壇し、アイコスによる受動喫煙に関する研究結果を発表し(※1)、7月に米国人を対象にして血液検査などを行うなどした生体に関する臨床試験結果を発表する。

 同時に、米国や日本において、仮に害が軽減されるかもしれない加熱式タバコのようなニコチン供給デバイスが使用された場合、どれくらいタバコ関連疾患の患者や死亡率が下がるかといった研究論文も出している(※2)。

 紙巻きタバコからの将来的な撤退を表明し、害が少ないことをアピールしたアイコスなどの製品に莫大な経営資源を注力してきたPMIにとって、このジャンルの製品群が紙巻きタバコに取って代わる市場環境を作り上げることは企業の存亡に関わるミッションだ。

 アイコスは日本を含む世界38カ国で販売され、同社が7月に発表した第2四半期の業績報告によれば、紙巻きタバコの出荷量は減った(前年比-3.3%)ものの加熱式タバコの出荷量は前年より98億台増加(+90.6%)したという。

 純利益は前年同期比+11.7%、営業利益も同+13.0%。タバコ会社はどこも高配当で知られているが、PMIは株式配当も6.9%増やして4.56ドル(約507円)にし、1株あたりの利益も前年より0.27ドル(+23.7%)増の1.41ドル(約157円)にした。

 これだけみれば、紙巻きタバコの減少を補っており、加熱式タバコへのシフトはうまくいっているように思える。だが、このリリースでPMIは2018年の利益見通しを下方修正し、発表後の株価は敏感に反応して大きく値を下げた。

 2018年の第1四半期の報告でも同じような現象が起きている。第2四半期の業績報告の翌日からPMIの株価は戻したが、投資家の間では同社のタバコ事業の見通しについて懐疑的な声も多い。

 投資家が心配する原因の一つは、日本市場でのアイコスの伸び悩みだ。2017〜2018年にかけ、日本市場で紙巻きタバコから加熱式タバコへの切り替えが急速に進み、それにともなってアイコスのシェアも増えていくという見通しのもとに経営計画を立て投資家へもアナウンスしてきたが、同社の期待は空振りだったことになる。

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日本市場における加熱式タバコを含んだPMI(PMJ日本法人)のシェアと紙巻きタバコのみのシェアの比較。アイコスの日本市場投入は2014年(先行テスト)、全国販売は2016年。Via:PMI「Sustainability Report 2017」(2018/07/25アクセス)

先行者利益を維持できるか

 日本市場にアイコスが受け入れられた理由はいくつかある。

禁煙できず紙巻きタバコから切り替えたい喫煙者へ訴求した

ニコチン規制がある日本でニコチン添加式電子タバコを許可なく販売できない

吸い殻や灰の汚れに敏感でタバコ煙の他者被害に対する後ろめたい意識

2020年の東京五輪でタバコ対策や受動喫煙防止対策が進んでいる

携帯ガジェットに似た外観と技術的進化で可能になった使用感の受容

若い世代を中心にしたマルボロブランドの高いシェア

 もともと日本市場は軽いタバコやメンソールタバコがよく売れることで有名だったが、そうしたライト志向に向いていたことも大きい。

 だが、最後の項目以外は特にアイコスでなくてもいいわけで、すでにライバルであるJT(日本たばこ産業)のプルーム・テックやBAT(ブリティッシュ・アメリカン・タバコ)のグロー(glo)とのシェア争いが起き、アイコスのシェアが蚕食されつつある。

 こうした状況は日本に限らない。韓国市場にアイコスが投入されたのは2017年6月だ。日本の状況に追随するかのように韓国でもアイコスが人気となり、1年間で約190万台を売り上げて加熱式タバコ市場をほぼ独占している。

 だが、日本のJTにあたるKT&Gが加熱式タバコのリル(Lil)を出し、アイコスの市場を虎視眈々と狙う。最近出た新型のリル・プラスはフル充電で複数回の使用が可能となっており、重量も軽くなってユーザーに対して強く訴求する可能性が高く、PMIも安穏としていられない。

 PMIはアイコスを使い、加熱式タバコの市場を開拓してきた。先行者利益もあるが、莫大な経営資源を投下して広げた市場を、研究開発やマーケティングにさして金をかけてこなかった後発のライバルに持っていかれるのは苦々しいだろう。PMIはアイコスに研究開発費をかけ過ぎたと批判する投資家もいる。

 アイコスは葉タバコを板状にしたヒートスティックに金属板を差し込む方式を採っている。周辺特許を含めたこの独自技術がアイコスの特徴だが、最近この方式をまねたサードパーティ製の本体が発売された。

 これまでアイコスのヒートスティックに互換性のあるサードパーティ製本体については、加熱式タバコ市場を拡大させる期待や自社製の製造が追いつかなかったなどの理由でほぼ静観してきたPMIが、独自技術を模倣した製品に対し、どういう対応をとるか興味深い。

 また、米国では電子タバコが一定のシェアを築き上げ、特にジュール(JUUL)という電子タバコが若い世代に圧倒的な支持を獲得している(※3)。欧米ではこうしたニコチン添加式の電子タバコが人気で、特に米国市場では加熱式タバコの強力なライバルだ。

PMIとアイコスに立ちはだかる障害

 法的な規制や税制もPMIの経営戦略の足を引っ張る。

 タイでは加熱式タバコを含む電子タバコは所持でさえ禁止され(※4)、シンガポールでも同様の規制がある。米国のFDA(食品医薬品局)は、まだアイコスの販売を認めておらず、英国の公衆衛生当局(UK Committee on Toxicity)もリスクの軽減は認めたもののリスクはゼロではないとしてアイコスを含む加熱式タバコを規制対象にした。

 日本でも、東京都の受動喫煙防止条例や国の受動喫煙防止法で飲食店での加熱式タバコの使用に一定の規制がかけられた。

 その他の国に加熱式タバコへの規制はない。ニュージーランドでもPMIの訴えを認め、公衆衛生当局の規制要求を司法が却下した(※5)。各国で対応が分かれ、行政に対するタバコ会社による訴訟リスクが高まっているのも確かだ。

 こうした状況で焦点になるのは米国の対応だろう。FDAは2018年1月、PMIによるアイコス販売申請について保留中だが、今後どうなるか予断を許さない。

 米国では長い間、司法の場でFDAや行政、市民団体などがタバコ会社を相手取って訴訟を起こしてきた。タバコ会社は情報隠蔽や虚偽の情報を出し、ニコチン依存症の喫煙者を作り出そうとしてきた経緯がある。

 PMIのアイコス販売申請についても、FDAはこうした過去の苦い教訓からPMIが出してくる情報に懐疑的だ。いくら害が軽減されているといっても、アイコスを吸うことによる健康への悪影響は全くゼロではない。

 そもそも公衆衛生当局として、使用後すぐに依存症になってしまうような商品を許可することが適切なのかどうかも疑問だ。FDAはニコチン量の規制にも動いているが(※6)、アイコスへの危惧もニコチン依存症を減らすことを目的としたこの政策から発している。

 いずれにせよ、加熱式タバコを含む、健康への害の軽減をうたったニコチン供給デバイスの出現が、公衆衛生当局やタバコ規制側にたつ研究者らの議論を混乱させていることは間違いない(※7)。

 だが、害の軽減は諸刃の剣でもある。健康への害の軽減をあまりアピールし過ぎると、もし何らかの悪影響があれば逆に訴訟リスクを抱えることにもなりかねない。

 タバコ課税も逆風だ。

 日本では2018年10月から加熱式タバコにも特別なタバコ税を課すことが決められ、5段階(5カ年)でスライド式に税額を上げていくことになった。税額が上がれば価格に転化せざるを得ず、価格が上がればユーザーの減少が予想され、利益率にも跳ね返ってくるだろう。タバコ増税も日本に限ったことではなく、ロシアで最近、大増税が行われた。

 米中貿易摩擦の影響も無視できない。

 タバコ産業は総じて巨大市場である中国へ参入しようとしているが、専売制の中国へ紙巻きタバコを売り込むのは得策ではない。電子タバコを含む加熱式タバコに中国市場進出の活路を見出しているが、日本や韓国での伸び悩みと米中貿易摩擦により不透明感が出ている。

 アイコスとPMIにとって問題は多く、これによって焦燥感が漂っているように見えるのだろう。

 日本市場では、今後どれだけ紙巻きタバコから切り替えさせられるか、加熱式タバコ市場での優位性をどれだけ保てるか、タバコ規制や増税にどう耐えるか。米国市場では、FDAによる販売許可が出るか、電子タバコからシェアを奪還できるか、といったところが懸念材料だろう。

※1:「『アイコス』の吸える場所はどこだ〜PMJ幹部に聴く」Yahoo!ニュース:2018/04/25

※2-1:Smilja Djurdjevic, et al., "Modeling the Population Health Impact of Introducing a Modified Risk Tobacco Product into the U.S. Market." healthcare, Vol.6(47), doi:10.3390/healthcare6020047, 2018

※2-2:Smilja Djurdjevic, et al., "Modeling the population health impact of introducing a reduced risk product into the Japan market." Global Forum on Nicotine, Warsaw, Posters, 2018

※3:「米国に出現した『JUUL』電子タバコの本性とは」Yahoo!ニュース:2018/06/11

※4:「タイで『加熱式タバコを吸う』と最大10年の懲役刑に」Yahoo!ニュース:2018/07/19

※5:Marta Rychert, "New Zealand court dismisses Ministry of Health case against ‘heat‐not‐burn’ tobacco products, highlighting the need to future‐proof tobacco control laws." Addiction, doi.org/10.1111/add.14376, 2018

※6:FDA, "FDA announces comprehensive regulatory plan to shift trajectory of tobacco-related disease, death." July 28, 2017(2018/07/25アクセス)

※7:Warren K. Bickel, et al., "Electronic cigarette substitution in the experimental tobacco marketplace: A review." Preventive Medicine, doi.org/10.1016/j.ypmed.2018.04.026, 2018

科学ジャーナリスト、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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