Yahoo!ニュース

南海トラフ地震の30年発生確率が「70~80%」に見直された。なぜ高まったのか

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
南海トラフの巨大地震モデル検討会による基本ケースの震度分布

南海トラフ地震とは

 南海トラフとは、静岡から四国にかけての太平洋側に存在する深さ4000m級の溝状の地形のことを言います。この場所は、海のプレートのフィリピン海プレートが陸のプレートのユーラシアプレートに衝突して沈み込む場所に当たり、プレート境界地震が定期的に発生してきました。フィリピン海プレートは年間3~4cmの速度で北西に進み、100年で3~4mのひずみを蓄積します。このため、100~150年でマグニチュード8クラスの地震を起こしてきました。過去の南海トラフ地震では、南海トラフ全体が一度に活動したり、東と西が分かれて活動したりすることがあり、地震の発生の仕方には多様性があります。

古文書にみる白鳳地震に始まる南海トラフ地震の履歴

 南海トラフの地震の候補としては、684年白鳳地震、887年仁和地震、1096年永長地震・1099年康和地震、1361年正平(康安)地震、1498年明応地震、1605年慶長地震、1707年宝永地震、1854年安政地震、1944/1946年昭和地震が挙げられています。ただし、慶長地震は揺れの被害記録が少なく津波地震だったと解釈されています。過去の地震活動履歴がこれほど良く分かっている場所は世界でもまれで、古文書が豊富に残っている我が国ならではのことです。

 古文書の記載が南海トラフ地震に相当するかの判断は、京都で強く揺れた、高知(土佐)で地盤沈下や潅水があった、津波があった、道後温泉(伊予)などの井戸が枯れたなどの記載があるかどうかで決められています。もちろん、古文書の被害記録から推定されているにすぎませんから、抜け落ちた地震もあるかもしれませんし、震源域も不確かです。このため、遺跡発掘調査で見つかる液状化跡なども参考にされています。また、白鳳地震より古い地震については、地盤内に残る津波堆積物などから活動時期が推定されています。

日本書紀に残る白鳳地震の記録

 白鳳地震については、日本書紀の巻第二十九に、「天武天皇十三年冬十月 壬辰。逮于人定、大地震。挙国男女叺唱、不知東西。則山崩河涌。諸国郡官舍及百姓倉屋。寺塔。神社。破壌之類、不可勝数。由是人民及六畜多死傷之。時伊予湯泉没而不出。土左国田苑五十余万頃。没為海。古老曰。若是地動未曾有也。是夕。有鳴声。如鼓聞于東方。有人曰。伊豆嶋西北二面。自然増益三百余丈。更為一嶋。則如鼓音者。神造是嶋響也。」との記述があります。大地震、土砂災害、建物倒壊、温泉枯、土佐の浸水、強い揺れなどが記されています。別の箇所に津波の記述もあります。

時間予測モデルで将来の地震発生を推定

 最近起きた宝永、安政、昭和の3つの地震は、古文書の資料の豊富さから、確実に南海トラフ地震だと考えられています。被害記録から、各地震の震源域の大きさは、宝永地震は日向灘も含み南海トラフ全域で「大」、安政地震は「中」、昭和地震は駿河湾域を除くエリアに限られ「小」と考えられていて、高知県室津港での地殻変動による隆起量もそれぞれ、大、中、小となっています。これを論拠とするのが時間予測モデルという考え方です。

 時間予測モデルとは、次の地震までの間隔と前回の地震のすべり量は比例するというモデルです。この考え方に基づくと、大きな地震の後は次の地震までの時間が長く,小さな地震の後は短いということになります。従って、大きな宝永地震の後が147年、中くらいの安政地震の後が90年だったので、小規模だった昭和地震の次は90年よりも短いかもしれないということになります。すでに昭和東南海地震・南海地震から74年・72年が経ちますから、そろそろ心配したほうが良いということが理解できます。地震発生の経過年と共に毎年発生確率が高まりますので、今回、今後30年間での確率が従来の70%程度から70~80%へと、見直されたと言うことです。

諸説ある将来の地震の起こるタイミング

 最近になって、慶長地震は南海トラフ地震とは異なる地震ではないかとの指摘もあります。また、安政地震と昭和地震とは震源域が重なっておらず2つの地震を合わせて一つの地震と考えると、地震の発生間隔は200年を超える可能性があるとの指摘もあります。時間予測モデルの考え方適用せずに、過去の地震の大きさに左右されずにランダムに発生すると考えれば発生確率はもっと小さいとも言えます。このため、「70~80%」と言うのは、一つの考え方に基づいた数字に過ぎないとも言えます。

 とはいえ、私自身は、我が国の耐震工学の始祖でもある佐野利器が残した「諸君、建築技術は地震現象を説明する学問ではない。現象理法が明でも不明でも、これに対抗するのは実技である。建築界には、百年もの間河の清きを待つ余裕はない」(1926年10月・建築雑誌)の言葉を大事にしたいと思います。地震の発生確率がどうであろうと、南海トラフ地震は、甚大な被害を起こすことが分かっている地震で、何れ必ず起きるのですから、被害軽減のために最大限の努力を常にすべきだとの考え方が必要だと思います。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

福和伸夫の最近の記事