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日馬富士関の貴ノ岩関暴行事件の裁判記録を読んで

江川紹子ジャーナリスト・神奈川大学特任教授
(写真:ロイター/アフロ)

 少し前のことになるが、第70代横綱日馬富士の引退の原因となった貴ノ岩に対する暴行事件の裁判記録を読みに、鳥取区検察庁に行った。この件については、もっと早く報告するつもりだったが、7月にオウムの死刑執行が相次いで私が忙しくなり、それでは9月場所が終わってから報告しようと思っていたら、なんと今度は貴乃花親方が年寄引退を表明。貴乃花親方によれば、貴ノ岩への暴行問題などについて書かれた告発状の内容が事実無根だといわれたのが原因、とのこと。30日には日馬富士の引退相撲も行われるというのに、未だに、この問題が尾を引き、蒸し返され、新たな騒ぎになっている。刑事事件となった本件だが、その手続きの中で、当事者たちは何を語っているのだろうか――。

確定記録は「何人も」閲覧できる

 日馬富士(本名・ダワーニャム・ビャンバドルジ)は、昨年10月26日未明に、鳥取市内の飲食店で同じモンゴル出身の貴ノ岩を殴ってけがをさせたとして、昨年12月28日に同区検が略式起訴し、1月4日に同簡裁が罰金50万円の略式命令を出した。

 この略式命令はそのまま確定し、日馬富士は罰金を支払って刑事事件としては終了している。

 刑事裁判の記録は、確定後は検察庁で保存され、「何人も、被告事件の終結後、訴訟記録を閲覧することができる」(刑事訴訟法53条)と定められている。ただ、実際には「公の秩序又は善良の風俗を害することとなるおそれがある」とか「犯人の改善及び更生を著しく妨げることとなるおそれがある」とか、「保管記録を閲覧させることが関係人の名誉又は生活の平穏を著しく害することとなるおそれがある」などといった理由をつけて、すべての記録の閲覧は認められないことが多い。その場合は、「一部不許可」の処分が出たり、判決さえ見せない「全部不許可」の場合もある。

閲覧許可となった記録は…

 今回の日馬富士のケースでは、「一部不許可」だった。そこで、同区検に赴き、閲覧許可となった記録を閲覧した。見せられたのは、厚さ5センチほどの簿冊で、略式命令、起訴状、被害届、事件現場の検証調書、当該飲食店が入ったビルの防犯カメラ映像から力士らが入店出店した時間を特定した捜査報告書、暴行に使われたカラオケリモコンの実況見分調書、血痕が付着した被害者の浴衣の実況見分調書、被害者の説明に基づいて事件を再現した捜査報告書、傷の状況を撮影した写真撮影報告書など14通の書面のほか、関係者の供述調書が10通綴じ込まれていた。

 固有名詞は、日馬富士や貴ノ岩を含めた人の名前はすべてA,Bなどと記号化され、現場となった飲食店の名称や場所などは、すべて黒塗りされている。現場の検証調書も、店内の状況の大半が黒塗りされており、見られるのは、暴行が行われた個室の内部だけだ。

 被害者関係の調書は、貴ノ岩の警察官調書2通、検察官調書1通、診察・治療した医師2人の警察官調書がそれぞれ1通ずつ。被疑者調書は警察官調書が4通、検察官調書が1通あった。貴ノ岩も日馬富士も、捜査機関はモンゴル語の通訳を介して話を聞くなど、事情聴取ではかなり気を遣っていたことが伺える。

得意技まで黒塗り?!

 ただ、いずれも調書の大半が黒塗りされ、事件に至る経緯はまったく分からない。数ページにわたって、真っ黒になっている部分も。

 日馬富士の調書では、「相撲の得意技は、××××でした」と、なぜか得意技の名称まで黒塗りされていた。得意技が分かると、「公の秩序又は善良の風俗」や「犯人の改善及び更生」などを、どのように害するのだろうか……?

 何ページにも渡る黒塗り部分も、こういう訳の分からない判断(?)の結果ではないか、という疑念が膨らむ。

日馬富士は何と言っているか

 肝腎の事件の発端についても、黒塗りが多い。

 まず日馬富士の12月21日付検察官調書

 現場となった部屋で白鵬が話をしている時に、貴ノ岩がスマホを操作しており、画面からメールをチェックしていることが日馬富士にも見えた、という場面の直後だ(なお、記号化してある固有名詞は、分かる範囲で江川の責任で補った)。

〈私は、××××××(注・6字分黒塗り)白鵬が貴ノ岩たちのために話をしているのに、貴ノ岩がそれを聞かずにメールをしていることに驚きました。

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――――――――――――――――――――(注・6行黒塗り)〉

〈私は、貴ノ岩を指導するつもりで

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――――――――――――――――――――(注・2行黒塗り)

と言いながら、座ったまま、右手のひらで貴ノ岩の頭を1回軽く殴りました。

 私は、貴ノ岩がすぐに頭をさげて謝罪すると思っていました。

 ところが、貴ノ岩は、自分がなぜ殴られたのか理解していないような表情で、私を見てきました。

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――――――――――――――――――――(注・3行黒塗り)

 そのため、私は、貴ノ岩に

    なんだその目は?

    おまえ俺とやりたいのか?

などと言って立ち上がり、貴ノ岩の前に立ち、左右の手のひらで貴ノ岩の顔を2,3発殴りました。

 このときには、貴ノ岩の表情は、反抗しているような表情ではなく、驚いているような表情に変わっていきました。

 私は、貴ノ岩がすぐに頭をさげて謝罪すると思っていたのですが、貴ノ岩は謝罪しませんでした。

 その後も、私は、貴ノ岩がいかに失礼なことをしていたのかを理解させるために、言葉で指導しました。

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 ところが、貴ノ岩が自発的に謝罪することはありませんでした。

 私が言葉で指導している間も、私は、貴ノ岩の顔を左右の手のひらで何回か殴りました。

 私の記憶では、貴ノ岩の顔を手のひらで殴った回数は、最初に2,3発を含めて全部で10回くらいだったと思います。〉

一方の貴ノ岩は

 この場面は、貴ノ岩の調書ではどうなっているだろうか。

 まず、昨年11月1日付警察官調書

〈私は、同級生からの連絡が入ってないか気になっていたので、横綱やX(注・力士でない出席者)の話を聞いている合間に、自分の携帯電話にメールや着信が入っていないか何度か確認していました。

 先輩方が話をしている中で携帯電話を見たりするのは失礼だと分かっていたので、自分は他の人に見つからないように気を使いながら、自分の体と右側の壁との間に携帯電話を隠すようにして携帯電話を確認しました。

 そうしていると、私が携帯電話を見たりしているのが日馬富士関にばれてしまったようで、日馬富士関が突然、私に向かって

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などと怒鳴りました。〉

 ここでも、事件の発端である日馬富士の言葉は黒塗りされている。

〈私は携帯電話を操作していたことがばれてしまい、失礼なことをしているのを同席していた皆に知られてしまったことで、申し訳なく思いました。〉

〈Bは私を怒鳴りつけながら立ち上がって、座っている私の正面にたち、上から睨み付けるようにして私を怒り、その直後、私の両頬当たりを、左右の平手で何度も殴り始めました。

 私は、自分が失礼なことをしたことがわかっていたので、日馬富士関の目を見ながらその仕打ちに耐えていました。〉

 このように、横綱が話をしている間に携帯電話をチェックしていた自分の態度が「失礼」であったことを繰り返し述べている。貴ノ岩の供述はこの点で、時期によって微妙に変化し、自分自身の「失礼」についての記載は、後日の調書では消えている。

 貴ノ岩の12月3日付警察官調書では、7ページ半にわたる黒塗りの後に、このような記載がある。

〈そのうちに白鵬関は日馬富士関らと話を始め、会話の相手が私ではなくなったので、私は自分の携帯電話でメールをチラッと確認しました。

 メールが来ているかどうかを確認する程度の時間だったので、じっくり見ていた訳ではありませんし、日馬富士関らに気付かれないように、携帯電話を自分の体で隠すようにして右手で持って、画面を確認していました。

 しかし、私が携帯電話を見ていると、すぐに日馬富士関がそれに気付いたようで、

    おい、お前何してる。この野郎。

と怒鳴られました。〉

 被疑者調書や11月1日付の貴ノ岩の調書では黒塗りだった日馬富士の言葉が、ここでは明かされている。ここに書かれている内容が貴ノ岩の記憶通りなのであれば、なぜ、この程度の言葉が他では黒塗りされているのか、さっぱり分からない。一貫した基準もなく、検察官のその時の気分等で、同じ事件の同じ場面の同じ人の言葉が、ある時は黒塗りにし、別の時には開示されたりするのではないか……という疑念もわく。

貴乃花親方の元で相撲道

 12月3日付調書では、さらに次のような記述が続く。

〈'''私は貴乃花親方の元で相撲道を学んでいます。

 相撲道とは、相撲を通じて相撲だけではなく礼節も学ぶものです。'''

 白鵬関や日馬富士関が私に対して話をしている時に、携帯電話を見たりするようなことは、無礼なことであり、私は絶対にしません。

 ただ、私は携帯電話を操作していたことについて、失礼なことをしたと思い、

   すいません。

と謝ったのですが、日馬富士関はすぐに私の画面を平手か拳骨で殴ってきたように思います〉

 貴ノ岩の礼儀正しさが強調された内容で、携帯をいじっていたことについても謝罪した、とある。この点は、初期供述にはなく、日馬富士の主張とは食い違う。

 この程度の違いは、加害者の刑事責任を決めるうえでは大した影響は与えないだろうが、その場の状況を詳しく知りたい者には少々気になる。

まったく開示されない目撃者の調書

 では、この場にいた同席者には、どのように見えていたのか。現場には、白鵬、鶴竜、照ノ富士、貴ノ岩、石浦らの力士5人に加え、地元の高校の先生ら全部で10人ほどがいた。ところが、彼らの調書は、見せられた簿冊の中に1通もなかった。

 そもそも「一部不許可」処分で閲覧不許可となった書面がどれだけあるのかも分からない。記録係の事務官に聞いても、当初は「言えない」とのことだったが、明らかにできない根拠を尋ねるなどするうちに、何度か保管検察官との間を行き来してくれた。結局、閲覧が全部不許可になった書面は「全部で6通、うち5通が調書」というところまでは教えてくれた。

 おそらくは、そのほとんどが目撃者の調書や目撃者からの聞き取りをまとめた捜査報告書だろう。なぜ、閲覧禁止なのか?

 そう問うと、事務官はこう答えた。

「みなさん、社会で活躍なさっている方ですから」

 社会で活躍しているかどうかは、法律上閲覧不許可の理由にはならないはずだが……。

閲覧不許可がすっきりしない事態を長引かせている

 貴乃花親方が内閣府公益認定等委員会に提出し、その後取り下げた告発状では、この暴行事件で相撲協会の危機管理委員会が作成した調査報告書には、重要な点で被害者の主張が全く反映されていない、としている。

 ただ、閲覧できた範囲では、貴ノ岩の調書内容は報告書とは食い違っていない。

 貴乃花親方が独自に作った報告書では、日馬富士がリモコンで貴ノ岩を殴った後、アイスピックを手にしたのを見て、ようやく白鵬が止めに入った、という。また、日馬富士は暴行の際、貴ノ岩に、「何様なんだ。殺してやろうか」と言った、となっていた、と報じられている。

 これも、閲覧できた範囲では、そのような記載はない。ただ、黒塗りされた部分が多く、白鵬ら目撃者の調書がまったく不開示なので、まったく記載がないかどうか、確認ができない。

 テレビのワイドショーが連日のようにこの問題を追い、日馬富士が略式起訴となった直後、相撲協会の前危機管理委員長である宗像紀夫弁護士がフジテレビ系の番組で次のように語っている。

「略式起訴になって、略式命令が出て14日間、経つと事件が確定するんです。そうなると確定記録を見ることができる時期が来る。その中で、貴ノ岩さんが警察に何を言っていたか、白鵬さんが何を言っていたか全部、わかる時期が来るんです。それに書いてあることと協会の報告書に矛盾がないかどうか

 宗像氏は、検察官として名古屋高検検事長を務め、現在は内閣参与となっている方だ。しかし、検察の現場は、その宗像氏が言うように「貴ノ岩さん、白鵬さんが警察に何を言っていたか全部わかる」ようになっていない。 

 そのために、この問題が蒸し返され、すっきりしない事態が続いている。引退相撲を経て新たな人生を歩み出そうとしている日馬富士にとっても、9月場所には10勝してさらに番付を上げようと意気込んでいるだろう貴ノ岩にとっても、残念なことではないか。

 私は、鳥取区検の「一部閲覧不許可」処分を不服として、裁判所に準抗告の申立を行っている。裁判所には一刻も早く、検察の処分を取り消し、すべての記録を閲覧できるような命令を出してもらいたいものである。そうすれば、この事件について、本当に幕を引くことができる。

ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々です。2020年4月から神奈川大学国際日本学部の特任教授を務め、カルト問題やメディア論を教えています。

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