これといった特徴もない住宅街の一角に「えほんやなずな」ができたのは、2016年秋のことだ。経営者は「就職経験もほとんどなかった」という50代の女性。近所の人たちが徒歩や自転車で三々五々やってきては、引き戸を開けて入っていくー。「まちの本屋が消えた」と言われて久しいが、その一方、「地域に本屋を取り戻そう」と動き出した人たちがいる。経営が厳しいことは分かっているのに、なぜ? 本屋をつくる人々を各地に訪ねた。(益田美樹/Yahoo!ニュース 特集編集部)
おとなのためのおはなしかい
8月の金曜日、夕方。茨城県つくば市の書店「えほんやなずな」は営業時間を延長し、「おとなのためのおはなしかい」を開いた。住宅街の一角。夜になっても、そこだけ灯りがともっている。10坪少々の、さして広くない店内で、店主の藤田一美さん(56)があいさつした。
「子どもにはちょっと語れない、下世話だったりエロティックだったり、こわーいものだったり。それを語りたい、読みたいということで始めた企画です。どうぞお楽しみください」
自転車や徒歩でやってきたのは13人。中年女性が中心ながら、若い男女の姿もある。この夜は、演者が六つの作品を物語った。絵本の「読み聞かせ」、身ぶり手ぶりを交えた一人芝居、ぽつんと座っての語り部風。参加者は声を上げて笑ったり、息をのんだり。そうやって1時間半が瞬く間に過ぎ、「おとなのためのおはなしかい」は終わった。
この書店は2016年10月に開店した。今は、新刊の絵本を中心に約1500冊が並ぶ。営業は週4日。スタッフ約10人で切り盛りしているという。
藤田さんには、書店経営の経験がなかった。それどころか、就職していた時期もそう長くはない。「もともと本好きでしたけど、そんな自分がね、まさか書店を起業するとは。自分でも驚いています。ちょっと前まで思いもしませんでした」
「#友朋堂ロス」の後で
話は2016年2月にさかのぼる。
つくば市で3店を経営していた友朋堂書店がツイッターで閉店を公表し、シャッターを下ろした。筑波大学生や市民に親しまれ、地域で名の通った友朋堂書店。取次会社の廃業が閉店の契機だったとされたものの、ファンの落胆は大きく、ツイッターでは「#友朋堂ロス」のハッシュタグ付きで「閉店なんて信じられない」「友朋堂ロスや。なんも手につかん」といったツイートが盛んに流れた。
藤田さんは当時、NPO法人「絵本で子育て」センター認定の絵本講師として活動していた。
「友朋堂書店が消えたら、つくば市のお母さんたちは、どこで絵本を買うのだろう、って。車を走らせれば、大型ショッピングセンター内の書店に行けるけど、お年寄りやお母さんたちはそれすら大変ですよね。ネットでも本は買えますが、本を手に取って購入する機会は、限られてしまいます」
そのすぐ後、藤田さんは「本屋入門」という講座を知り、3月から3カ月間、東京の会場に足を運んだ。それが終わるころ、なじみの場所で1階スペースに空きが出た。そんな偶然も重なり、藤田さんは「えほんやなずな」の開店に向けて走り出す。
最初に作った事業計画は、創業支援アドバイザーから「これはビジネスではない。あなたの年金保険料など、どうやって払うんですか」と酷評された。書店の粗利益は2~3割。経営は難しい。「だから、いろいろ工夫しています」と藤田さんは言う。本棚は、ホームセンターの木材を利用した夫の手作り。商品を入れる袋は少量なら使わない。
「絵本は家庭の文化遺産」
開店から11カ月、ベビーカーを押したお母さんや親に手を引かれた小さな子どもが次々とやってくる。藤田さんは、絵本選びの相談に乗ったり、紙芝居を演じたり。店を閉めていても、青空市で紙芝居を演じ、読み聞かせイベントなどにも出る。休みはほとんどない。
店に置く書籍の目標数「初期在庫」は2000冊。「オープン時には新刊約300冊、古本150冊でした。少なくとも初期在庫に達するまでは本を買い続けるので毎月赤字です」。スタッフ約10人の賃金も茨城県の最低賃金レベルだという。
それでも、藤田さんは手応えを感じている。
「『おとなのためのおはなしかい』に参加した人から、次は自分が演者になりたい、という方も出てきました。それに何より、絵本を手に取りながら選んでもらえる。絵本って、家庭の文化遺産みたいなものなんですね。図書館では、絵本を自分のものにできません。私の子の絵本も、特に思い出深いものは残してあります。ページを開くと、小さかった時の思い出がよみがえるんです」
「本屋をやりたい人は少なくない」
「えほんやなずな」の開店前、藤田さんが熱心に通った「本屋入門」は、東京・赤坂の書店「双子のライオン堂」で開かれていた。地下鉄駅から狭い路地を歩いて約5分。主催した店主の竹田信弥さん(31)とライターの和気正幸さん(32)は、個人による新刊書店の開業を後押ししている。
竹田さんは「3、4年前からでしょうか、都内でも新刊書店がちらほらできてきました。本屋をやりたいという人は少なくない。そういう実感があります」と言う。和気さんは「東日本大震災を経験して、『やりたいことをやるのは今』と思う人が増えている気がします。普通に働き続けて給料が良くなる時代でもないし」と話した。
これまで講座は2014年から2015年にかけてと2016年に開催。それぞれ15人ほどが参加し、藤田さんを含む4人が実際に書店をオープンさせたという。
和気さんはこの6月、『東京 わざわざ行きたい街の本屋さん』を出版した。執筆のため、訪ね歩いた書店やブックカフェは計約130店。その経験をもとにこんなことを考えるようになったという。
「愛されている本屋の特徴は『人が交わる交差点』ですね。儲かっている本屋と盛り上がっている本屋は違います。ちっちゃくても、大きくても関係ない。いい時間が流れているかどうか、です」
2000年と現在 書店は4割も減少
「えほんやなずな」を応援するつくば市の出版社「結エディット」代表、野末たく二さん(59)は「出版社は川上、書店は川下です。本を作っても、置いてくれる書店がなければ社会に届けられません」と話す。
野末さんはライターを経て2001年に起業し、地域に根差した本づくりを続けてきた。創業当時の資料を見せてもらうと、直取引していた180ほどの書店名があった。ところが、「この中で今も残っている書店はほとんどありません。特に地方の独立系書店は軒並みなくなり、全国チェーン店もほとんど入れ替わりました」と野末さんは明かす。
書店調査会社アルメディアによると、2017年5月時点で全国の書店は1万2526店。2000年と比べると4割強も減少した。電子書籍の普及、安定した収入源だった雑誌の低迷、アマゾンをはじめとする通信販売の拡大……。要因は一つではないが、「書店が消えていく」実態は明確で、書店ゼロ自治体は全国に点在している。
つくば市の南隣、茨城県つくばみらい市もその一つだ。東京・秋葉原と結ぶ高速鉄道「つくばエクスプレス」の沿線にあり、人口が5万人余りにまで増加したものの、書店は1店もない。同市みらいまちづくり課によると、誘致に関する要望が市民から寄せられ、議会でも質問事項に上っている。
「生き残った書店も様子が変わりました」と野末さんは言う。
「書店での営業がしづらくなったんです。すごく、です。かつて書店には本に精通した店員が必ずいました。今は本当に少ない。大型店では、店長が複数の店舗を掛け持ちする状況もあります。本の内容や出版の事情に精通し、裁量権を持って出版社と接する人がいなくなりました」
野末さんは今、友朋堂書店の店舗販売再開を後押しするイベントなどに協力している。「本は交流やまちづくりに適したものだと再認識しています。出版社も本屋も共同体として、そうしたことに取り組む時代かもしれません」
市民が書店を誘致 北海道留萌市のケース
「本を通したまちづくり」で一躍名を広めた自治体がある。北海道留萌市。書店ゼロの状態から2011年7月、市民が大手書店の誘致を成功させたことで知られる。その「留萌ブックセンターby三省堂書店」は、札幌から高速バスで北に約2時間の幹線道路沿いにある。
店舗面積150坪、在庫は約10万点。文具やDVDも置いている。留萌市の人口はこの6月末時点で約2万2000人に過ぎないが、この書店のポイントカード登録者数は1万5000人を超える。毎月約1000万円を売り上げ、5年連続の黒字だという。
店長の今拓己さん(68)は言う。
「一つ一つの積み上げが大事なんですね。留萌で一番人が集まるところは病院と聞いて、市立病院で月1度の出張販売を実現させました。JR留萌駅に近い商業施設内でも同じように始めて。注文を受けた本が手に入らないと、こっちが消費者になってアマゾンで購入し、届けます。利益が出なくても『また利用しよう』と思ってもらうことを大切にしたい」
正社員はゼロで、パートも6人しかいない。その代わり、市民グループ「三省堂書店を応援し隊」の7人が無償で店を手伝っている。
市民が書店を「呼び隊」「応援し隊」
「応援し隊」の前身は、書店の誘致活動を手掛けた「三省堂書店を留萌に呼び隊」だ。2010年12月、留萌で唯一の書店が廃業。その後の2011年春、新学期用の学習参考書などを三省堂書店が留萌市内で臨時に販売した。「呼び隊」代表だった武良千春さん(56)は「臨時販売と聞いて、じゃあ来年度の教材はどこで買えばいいの、となったんです」と振り返る。
大型書店出店の目安は人口30万人以上と言われる。留萌市はその10分の1にも満たない。呼び隊は署名集めといった活動ではなく、「出店してくれたらポイントカードの会員になります」という市民を募ることにした。10日間で約2500人が名乗り出た。そして2011年7月、三省堂書店は店を構えた。
「応援し隊」に切り替わった後も、市民の活動は続いている。メンバーは同店の作戦会議にも出席し、知恵を出す。店内での読み聞かせ会も、その中で生まれた。観客に読み聞かせるのは、大人ではなく、公募の子どもたちだ。同隊メンバーの塚田裕子さん(80)は言う。
「珍しいでしょう? わが子の応援のため、家族総出でやってくるケースも多いんです。最近では、子どもだけでなく、親御さんも壇上に上がってもらうお話会も始めました」
裕子さんの夫で、同隊理事の亮二さん(84)はこう言った。
「呼び隊は、婦人会長とか、既存団体の役員が入っているわけではありません。でもそれが良かったのかもしれないですね。純粋にこの店を応援したい人が集まるからこそ、いろんな新しいことに取り組めますから」
まちの本屋さん、復活は…
市民の応援や個人の頑張りで、本当に街の本屋は復活するのだろうか。講座「本屋入門」を開き、開業を後押しする「双子のライオン堂」店主・竹田さんはこう話した。
「ダブルワークのような働き方が広がることで、本屋をやる人が増えるかもしれません。実際、例えば、高齢になって書店を始めた人がいます。それほど稼ぐ必要のない立場を生かし、本屋をやってみる人がいるわけです。主婦も同じ。高齢者とおばちゃんのパワーで、多様な本屋が今後、いろんな地域に誕生するかもしれない、と。期待を込めてそう考えています」
益田美樹(ますだ・みき)
ジャーナリスト。元読売新聞記者。
英国カーディフ大学大学院(ジャーナリズム・スタディーズ専攻)で修士号。
最終更新9月20日午後4時半:初出時に「有朋堂」としておりましたが、正しくは「友朋堂」でした。