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「認知症でも運転できる」 改正道交法に当事者や医師ら

2017/07/21(金) 10:19 配信

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75歳以上の高齢者が運転免許の更新時か違反時に「認知症のおそれあり」と判定されたら、例外なく医師の診断が必要になり、“クロ診断”なら運転免許は打ち切りにー。そんな新ルールがこの3月から始まっている。認知症のドライバーを早期に見つけ、事故を減らす狙いだが、当事者団体や学会などからは「認知症、即免許停止は乱暴」「危険運転との因果関係は証明できていない」といった批判が消えない。運転能力のある認知症の人もいるうえ、高齢者にも豊かな生活を営む権利があるからだ、という。車がないと生活できない高齢者も存在する中、この新ルールをどう捉えたらいいのだろうか。(益田美樹/Yahoo!ニュース 特集編集部)

診断書の依頼、医師が断る

認知症臨床専門医の池田健さん(57)がその電話を受けたのは5月29日だった。東京都多摩市の天本病院。相手は以前診察した高齢の男性患者で、「認知症かどうかの診断書をすぐ書いてほしい」と言う。「半月以内に必要です」とも訴えていた。

池田健医師。「認知症の診断は高度な知識と十分な時間が必要です」と話す(撮影:益田美樹)

池田さんは年間延べ約2000人を診る認知症のエキスパートだ。ところが、病院内での協議も経て、池田さんは依頼を断った。「免許取り消しになったら困る」という男性患者を前に、「そんなデリケートな診断を短期間で下すのは医師として無責任」と考えたからだ。

「認知症でも運転できる人はいます」

75歳以上の高齢者が運転免許を更新する場合、免許センターなどで「認知機能検査」を受ける。そこで「認知症のおそれあり」とされたら、「診断書提出命令」などによって診断を求められる。その診断で認知症が確定すれば、免許はほぼ確実に取り消しか停止だ。

池田医師が改正道交法の資料をひもとく(撮影:益田美樹)

このルールは3月12日施行の改正道路交通法に盛り込まれた。「違反歴があった者のみ」という以前の限定条件は改正法で消え、「認知症のおそれあり」とされた75歳以上は全員、診断の対象になった。

池田さんはこれに異を唱えている。

池田医師は、専門医以外による診断の増加も懸念している(撮影:益田美樹)

「認知症でも安全に運転できる人はいます。『認知症がイコール運転不適格者』はかなり乱暴。原因となる病気によって認知症は症状に違いがあり、できること、できないことの内容や程度は千差万別。病気の進行程度や個人差もある。だから、一人ひとりの運転能力をチェックせず、『認知症』というだけで免許取り消しを図る制度に合理性はありません」

一律の運転禁止、学会も疑問符

「認知症=免許取り上げ」は乱暴ではないかー。その考えは池田さんに限らず、医学界にも広がっている。

専門医不足を背景に、警察庁はかかりつけ医にも診断の協力を呼び掛けている(撮影:益田美樹)

国会で新制度が議論されていた昨年11月、日本精神科病院協会や日本老年精神医学会などは、「提言」や「要望」の形で次々と疑問を投げかけた。このうち、日本精神神経学会の要望は「そもそも認知症と危険な運転との因果関係は明らかではありません。認知症であっても運転能力が残存しているのであれば、それを奪うことは不当」と明記している。

NPO法人日本身障運転者支援機構の佐藤正樹理事長(53)も「運転能力のある認知症の人もいます。住み慣れた街で自分らしく生きることを、『認知症だからダメ』と一律に禁じていいのでしょうか」と言う。

佐藤正樹さん(撮影:益田美樹)

「認知症の人にも自由な移動を」

同機構には「一人でも多くの障害者に自動車免許を!」「一人でも多くの障害者に自由で安全な移動を!」という目標がある。医療関係者や高齢者、障がい者など会員は約1300人。運転で障がい者の世界を広げる活動を10年前から続けてきた。

佐藤さんによると、この間、「高齢者など危険なドライバーを支援するとは何ごとか」といった苦情がしばしば届いたという。それとは別に、佐藤さん自身が「えっ」と思うこともある。

障がい者のための運転訓練装置。佐藤さんが作った(撮影:益田美樹)

例えば、今年4月のこと。自身が暮らす東京都内の街で、80代の女性が駐車場で車を暴走させ、フェンスを突き破って約4メートル下の駐在所に転落する事故があった。幸い、女性は軽傷で済み、第三者にも被害はなかった。

「その女性は間もなく車を買い、再び運転しているそうです。実際に運転が危険な人は運転をやめた方がいい。率直にそう思います」

高齢者のよろよろした運転、中央線をはみ出して走る運転。そんな場面を自分で目の当たりにする機会も多くなってきた。それでも「認知症イコール免許停止」には納得していない。

佐藤さんが大切にしている本。障がい者自立の重要性を教わったという(撮影:益田美樹)

「要はどこで線を引くか、の問題です。それなのに『事故を起こす前に一律に運転をやめさせろ』という考えが、社会全体に広がっている。それは、やはりおかしい。認知症や高齢者の人には『自分らしく生きる権利』はないのでしょうか?」

認知症の人は自分でものを言いにくい

「誰もが納得できる線引き」はあり得るだろうか。

日本認知症ワーキンググループも今年3月、警察庁と厚生労働省に「提案書」を出している。改正道交法の施行直後で、「『認知症』を一括りにしない」「運転技量に応じた判断を」などと要望した。

日本認知症ワーキンググループがまとめた提案書(撮影:益田美樹)

このグループには、医療関係者らだけでなく、軽度から中等度の認知症患者も加わっている。認知症のメンバーらは提案書を警察庁と厚生労働省に出した翌日の3月14日、記者会見を開き、こう訴えた。

「危険な運転を認めるべき、とは言っていない。当事者の意見も含め議論してほしい。本人の生活基盤が奪われ、仕事や楽しみ、生きがいを失う可能性もある」

いつまでも笑顔で安全運転ができればいいが…(イメージ/アフロ)

今回、Yahoo!ニュース 特集編集部が同グループの認知症メンバーに取材を申し込むと、ていねいな断りがあった。

代わって対応してくれた事務局の渡辺紀子さん(46)によると、取材を断ったのは、認知症の当事者が意見すると、エゴと捉えられかねないからだという。高齢者による交通事故が盛んに報道され、子どもが犠牲になることもある。そんな社会の状況を考えると、当事者としては訴えたい言葉を発信しにくい、というわけだ。

渡辺紀子さん(撮影:益田美樹)

グループ内の議論でも「せっかく、認知症の早期診断が可能になり、進行を緩やかにすることもできるようになってきたのに、認知症という診断だけで免許更新ができないとしたら、診断そのものをためらう人も出てくるのではないか」という声が認知症の人たちから出されているという。

「活動しないとさらに機能は衰えます」

日本認知症ワーキンググループの活動に参加する永田久美子さん(57)は、認知症介護研究・研修東京センターの研究部長でもある。東京都杉並区の仕事場に足を運ぶと、「認知症の常識は変わってきたんです」と語り始めた。

「3年ほどで言葉が出にくくなり、5年で動けなくなって、7、8年で死亡するー。それが認知症の常識でした。今は(認知症の診断から)10年以上が過ぎても元気な方がいます。能力がどんどん伸びていく人もいます」

永田久美子さん(撮影:益田美樹)

永田さんは続ける。

「誰も話し掛けないと、話す力は落ちます。外出の機会を奪われたら、こもりきりになり、体の状態も落ちます。病気のせいだけでなく、周りの理解や適切な支援がないため、必要以上に状態が悪化していく。そんな人がかつては多かったと思います」

永田さんによると、欧米や豪州では、「ドライブサポート」という考え方が広がっている。加齢とともに運転能力が衰えるのは当たり前。だから、その低下に合わせ、長く安全に運転できるよう対策する。「日中のみの運転を許可」「高速道路での運転は認めず、一般道は許可」といった対策もある。

英国スコットランドのワーキンググループのHP。認知症の人への対応改善などに取り組んでいる

細やかな具体策もないまま、「0か100かで免許停止に至るのが今の日本です」と永田さんは言う。

「近年、高齢者も末永く外に出るように、地域で暮らし続けられるように、と言われます。その重要な手段が運転。サポートを受けることができれば、本人も自分の弱点を客観的に認識できます。サポート中は、運転機能の低下と冷静に向き合うこともできるでしょう。その延長線上に免許の自主返納がある。いきなり取り上げるやり方では、本人の納得は得にくいですよ」

「家族の会」の考えは…

最後にもう一つ、当事者団体の声を紹介しよう。公益社団法人「認知症の人と家族の会」。本部は京都市の観光名所・二条城のすぐ北側にある。

「認知症の人と家族の会」の事務所(撮影:益田美樹)

事務所を訪ねると、6月まで代表理事だった高見国生さん(73)が迎えてくれた。壁の棚は、これまでの活動を物語る資料で埋まっている。高見さん自身、20代のころから母の介護に携わってきた。

会は1980年、介護に悩む100人ほどが集まって京都で生まれた。今は全国に支部を持ち、会員は約1万1000人。主に認知症の家族を持つ人たちが悩みや苦労を語り、励まし合う。年間2万件を超える電話相談では「おじいちゃんが認知症なので、運転をやめさせたい。どうしたらいいか」といった声が度々寄せられるという。

「運転させない。それが家族の願い」

認知症でも運転できる人はいる。一律に運転させないのはおかしいー。そんな声をどう捉えているのだろうか。

高見国生さん。長年、「認知症の人と家族の会」を支えてきた(撮影:益田美樹)

高見さんは言う。

「認知症と診断されたら運転はさせない方がいい。これが会の基本的な立場です。(認知症の人に運転させないという)改正道交法には反対しません。人権侵害だ、権利の抑圧だ、などとも言いません」

新ルールに賛同するのは、事故を起こせば、第三者を巻き込む恐れが常にあるからだ。そして、ある時点での診断がどうであれ、認知症は進行していくからだ。

高見さんの背後には資料の山(撮影:益田美樹)

「きょう運転に問題がなくても、あすは問題があるかもしれません。家族は、事故の可能性を危惧しているんです。家族にしてみると、『どうやったら運転をやめさせることができるか』が一番の課題。運転を続けたいと譲らないおじいちゃん、おばあちゃんに、家族がどれほど苦労しているか」

考えなければならないのは、「免許がなくなった後」のことです、と高見さんは力説する。認知症の人でも安心して自由に移動できるよう、公共交通機関網の充実や割引制度の拡充を図ってほしい、と毎年のように要望しているのもそのためです、と。

「認知症のおそれ」年間5万人 75歳未満は?

3月施行の改正道交法では、実際にどのくらいの人たちが影響を受けるのだろうか。

認知症の高齢者の運転免許をどうするか。警察庁でも議論は続く(撮影:益田美樹)

警察庁によると、更新時や違反時の認知機能検査で「認知症のおそれあり」とされ、最終的に医師の診断を受ける75歳以上は年間約5万人に達しそうだ。これに対し、各学会が認定する認知症の専門医は約1500人しかいない。

ほかにも課題は残る。「75歳未満の問題」もその一つだ。

高齢者運転標識。通称「もみじマーク」。安全への試みは続く(イメージ/アフロ)

道交法によると、年齢にかかわらず、医師から認知症と診断された時点で運転はできない。道交法66条は「過労、病気、薬物の影響その他の理由により、正常な運転ができないおそれがある状態で車両等を運転してはならない」と定めており、認知症はこの「病気」に該当するからだ、と警察庁は説明する。

しかし、認知症の診断が出ても、75歳未満は警察側への申告義務がない。従って、警察側も75歳未満の状態を正確に把握できない。だから今も現に、認知症の人が運転を続けている可能性は十分にある。


益田美樹(ますだ・みき)
ジャーナリスト。元読売新聞記者。
英国カーディフ大学大学院(ジャーナリズム・スタディーズ専攻)で修士号。

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撮影:益田美樹、イメージ:アフロ

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