厚生労働省兵庫労働局で働いていた障害のある20歳の女性に対し、「組織として不適切な対応があった」として、厚労省が8月、同局幹部らを処分していたことがYahoo!ニュース編集部の取材で分かった。厚労省によると、処分は前局長ら5人。女性の両親などによると、女性はあろうことか、障害者雇用を促進する部署で「いじめ」や「虐待」を受け、採用から半年足らずの昨年秋に退職を余儀なくされたという。女性にとって労働局での仕事は、社会人としての第一歩だった。障害者施策のお膝元である厚労省の組織でなぜ、こんなことが起きたのか。(Yahoo!ニュース編集部)
「黒塗り」の資料を前に
「私らがいくら訴えても、労働局は娘の業務内容や勤務環境を改善してくれませんでした。配属先の職業対策課は、障害者の雇用を促し、権利を擁護する専門部署ですよ。それなのに…」
兵庫県内の住宅街。通りに面したファミレスで、女性の父は怒りを隠さなかった。テーブルには父が情報開示請求で入手した関係書類の束。多くは黒く塗りつぶされている。
「職場で娘に何があったのか、どんな対応策が検討されたか。詳細は全く分かりません」
子どもがどんな状態に置かれていたか。それを両親にすら全面開示しない役所の姿勢にも怒りをにじませた。
20歳、社会への第一歩が暗転
女性の障害は「場面緘黙(かんもく)」症状を持つ広汎性発達障害。「全緘黙」と異なり、家族らとは話ができる一方、学校や職場などの社会的な状況下では声を出したり話したりすることが困難だ。
両親によると、人前での発語が難しいことから、小中高校を通していじめの対象となった。高校までは学校側の理解もあって卒業にこぎつけ、在校中に英検2級も取得したが、大学では十分な障害者支援を得られず、入学から2か月で中退。その後、社会に出る道を模索していた。
社会人への道は昨年4月に開けた。神戸市内の「ハローワーク灘」や「兵庫障害者職業センター」に母親と足を運び、兵庫労働局の求人に応募。6月から10カ月契約で働くことが決まったからだ。
この求人は、知的や精神障害者、発達障害者を対象にした国の「チャレンジ雇用」制度に基づいていた。官公庁で最長3年の業務経験を積んでもらい、民間での就職につなげる狙いがある。
結論から言うと、女性は症状を悪化させていく。最後の出勤は昨年10月23日。初出勤から4か月余りしか経っていなかった。
「配慮」を拒んだ労働局
兵庫労働局の職業対策課は、この女性をどう扱っていたのか。
女性の父が今年2月に兵庫県弁護士会の人権擁護委員会に出した「人権侵犯救済申立書」、さらには厚労省の内部資料や同省が後に実施した内部調査などによると、状況は見えてくる。
女性と面談し、就労を手助けした兵庫障害者職業センターの「評価結果」書類には、最優先の勤務条件として「一人または個人ブース(ついたて)のある環境」と記されていながら、職業対策課は応じなかった。場面緘黙症は、人の視線や声が気になる。そのため、就労前の話し合いで、母もついたての設置や耳栓使用を求めたが、実現しなかったという。
厚労省が障害者を雇用する民間企業向けに作った「合理的配慮指針事例集」には、緘黙症や自閉症など発達障害者への適切な配慮として、ついたての用意や耳栓使用などが明記されている。
「指導」の名の下で
ほかにも問題があった。
障害者職業センターの障害者台帳には、女性について「発達障害(会話及び言語)」と明記されている。本人も対人業務を希望していない。それなのに、職業対策課は「コミュニケーション技術の向上」という指導方針を掲げ、「職業対策課の職員十数人に『よろしいでしょうか』と毎朝、声を掛けながらの机の雑巾掛け」「相手に聞こえる声で報告・連絡を行いながらのコピーやシュレッダー、新聞のスクラップ」を割り当てていく。
障害特性に反する業務の数々。心の負担が増した女性は7月下旬、最初の「シグナル」を発した。「机の雑巾掛け」を巡って、である。
「女性は障害者」と職場に周知徹底せず
厚労省の内部資料や両親らによると、その日の雑巾掛けの際、女性は多忙そうな非常勤職員に声を掛けることができず、そこを飛ばして次の机に向かった。すると、職員が「何で私の机をふかないの」と声を荒げた。誰も女性をフォローせず、彼女は涙を流しながら机ふきを続けたという。
その非常勤職員に対し、職業対策課は「女性は障害者」と知らせていなかった。
この“事件”の後、両親は初めて労働局に「会話にハンディを持つ娘には一人一人に声をかけての雑巾掛けは精神的に辛い」といった要望を手紙で伝えている。さらに母親は電話で「雑巾掛けをなくしてほしい」と訴えた。その結果、週1度に減ったものの、「コミュニケーション能力の向上」という方針は変わらなかった。
「監視」も日常的に
女性の指導役は「主任」だった。主任は当初から作業の度、細かな報告や連絡を行うよう要求。職員らへのあいさつ、謝罪も頻繁に求めたという。トイレや休憩の時間も分単位で計るなど「見守り」「指導」と称する「監視」状態が続く。
終業時に業務日誌を書く際、主任は女性の隣に座り、「しんどかった出来事」の欄などに本音を書かせなかった、とされる。実際、初出勤から退職の間際まで、しんどかったことは「なし」になっている。
女性は場面緘黙症であり、家族とはコミュニケーションができる。日々追い込まれる様子を聞きながら、両親はどう思ったか。
のちに父は、労働局宛ての手紙や「人権侵犯救済申立書」の中で、当時の思いを「ついたての設置や耳栓使用、つらい時の逃げ場はなぜ用意されないのか」「場面緘黙症という情緒障害なのになぜ必要以上に発声を強制するのか」「指導が細かすぎ、監視も多すぎる」などと記している。
「ジョブコーチ」という存在
「ジョブコーチ(職場適応援助者)」の対応にも問題があった、と両親は言う。
ジョブコーチは障害者の就労を支援する役割を持つ。今回のケースでは、神戸市の委託を受けたNPO法人の職員が担当者となり、女性の側から業務の見直しなどを兵庫労働局に提言する立場にあった。
ところが、である。
女性の母親はいくら「監視」「発語を強要する業務」の見直しを頼んでも、ジョブコーチは常に労働局側に立っていた、と訴える。耳栓の使用などについても、労働局に尋ねた結果として理由も告げず「できません」との回答だったという。
それどころか、職業対策課の職場内で、指導役の「主任」とジョブコーチは、当の女性がすぐ近くにいるのを知りながら、女性を傷付ける会話を交したこともあった。この「心無い会話」は厚労省の内部調査でも事実として認定されている。
前局長ら処分、しかし…
厚労省の内部調査は、両親の度重なる抗議や要望、関係機関への働きかけなどで昨年秋に始まり、ようやく今年8月15日付でまとまった。労働局担当者らの言い分をうのみにするなどずさんな部分も多いものの、それに基づき、処分を実施。両親らに対する厚労省の説明によると、当時の局長、総務部長、職業安定部長、職業対策課長、課長補佐の5人に「厳重注意」などの処分を下した。指導役の主任は処分せず、口頭で注意した。
処分は(1)雑巾掛けのトラブル以降も業務内容や指導方針を迅速・的確に見直さなかった(2)非常勤職員に女性が障害者であると周知しなかった(3)労働局は対応を外部のジョブコーチに任せ家族に直接連絡しなかった、などが理由になった。
さらに内部調査の報告書は「チャレンジ雇用の際は障害特性を十分踏まえて、指導方針や業務内容は家族とよく相談すること」と明記。報告書がまとまる直前、厚労省はこのケースのみを議題とする異例のテレビ会議を開き、全国47の労働局幹部に再発防止の徹底を伝えている。
兵庫労働局はこの結果をどう受け止めたか。
対面の取材に応じた伊藤浩之総務部長は、この問題が起きた時、本省の地方課に在籍していた。今年4月の人事異動で兵庫労働局に来る前からこの内部調査に関わり、異動前の2月には両親をヒアリングしたこともある。その伊藤氏は「取材対応は本省で」「再発防止に努めたい」と語り、なぜあのような対応が続いたか、には言及しなかった。
厚労省地方課の山地あつ子企画官は「不適切な対応を重く受け止め、処分を講じ、再発防止の措置をとった。(女性に対しては)指導方針や業務内容を見直すことができず、申し訳ない」と語った。
ジョブコーチの所属するNPO法人は「(業務委託元の)神戸市と協議した結果、コメントのしようがない、との回答にすることにした」と話した。
障害を知っても対応変えず
職員が処分されたとはいえ、問題はいくつか残っている。
娘が働き始めて間もなく異変に気付いた両親は、何度も労働局に改善を要望し、実情を尋ねた。
そうした中、「女性が場面緘黙症とは知らなかった」と同局が主張したことがある。初めて知ったのは就労から約4カ月後の昨年9月に届いた父の手紙だった、と。「知っていたら指導方針は変わっていた」と。その言い分は「ジョブコーチとの初面談時に娘の症状を説明し、局側にも伝わっていたはず」とする両親側と違っている。
しかし、職業対策課は「場面緘黙症」と知った9月以降も、週1 回の雑巾掛けをやめさせず、ついたても耳栓使用も認めなかった。女性を「監視」していた主任も、女性が出勤できなくなる直前まで指導役のままだった。しかも、両親側によると、「監視」や「指導」が緩むことはなかったという。
なぜ、労働局の内部で「この働かせ方はおかしい」という声が出なかったか。両親らの訴えになぜ、迅速に対応しなかったか。内部調査の報告書はそこまで踏み込んでいない。
さらに、問題が職場内で浮上した後、労働局や本省は内部調査などのヒアリングに際し、両親に再三、女性本人の同席を求めた。両親は「そんなことをしたら(場面緘黙症の)娘は首を吊りかねない。何度もそう説明しているのに、なぜ障害者本人にしわ寄せをするのか」と異を唱え続けたという。
コンプライアンス問題に詳しく、父からの「人権侵犯救済申立」の相談に応じた髙島章光弁護士(神戸市)は指摘する。
「障害特性に対応した合理的配慮という視点は、公的機関が当然持っておくべきもの。そうした視点の検討がなかったのでは、ということは少なくとも言えるでしょう。両親が配慮を求め続けた際、その内容を(労働局は)障害特性と関連付けて検討できていたのか、疑問です」
「制度にも問題あり」と専門家
障害者の権利を守り、就労を促進すべき厚労行政。その内側で起きた今回のケースを専門家はどう見るだろうか。
東京の慶應義塾大学・三田キャンパスを訪ね、商学部の中島隆信教授を取材した。「障害者の経済学」の著書を持つ中島教授は「兵庫労働局の落ち度はもちろんとして、『チャレンジ雇用』という制度自体にも問題があるのでは」と言う。その上でこう強調した。
「民間企業の場合、職場体験など試行期間を通じて『この障害の人にはどんな仕事が合うのか』を慎重に判断します。そして、雇ったからには働いてもらわなければなりません。発達障害の人ならブースの設置をはじめ、求めに応じて働きやすい環境を整えます」
「一方、チャレンジ雇用制度では有期雇用の形で、いきなり障害者が職場に入っていく。役所は民間企業に比べ、人を育て、能力を引き出して活用しようというインセンティブ(動機付け)が働きにくいのに、専門家のフォローもないまま、民間就労の前段階というデリケートな時期を役所に任せていいのでしょうか。今回のように障害者を雑に扱っている例がほかにあるかもしれません。障害者の受け入れを安易に考えてはいけません」
「まず緘黙という症状をよく知って」
緘黙症と向き合う側は、どうとらえるか。東京都立中野特別支援学校の吉田博子教諭は、場面緘黙症の児童・生徒らを担当した経験を持つ。
吉田さんによると、症例が少ない場面緘黙への理解は難しく、場面緘黙の人は自分の意思を伝えることが難しい。この「相互理解の難しさ」が場面緘黙に対する支援のハードルを上げているという。だからこそ、今回のケースで言えば、雇用する側が女性の家族と連絡を密にして話し合うなどし、当事者のニーズを共有することが大切だったのではないか、と言う。
「場面緘黙の人を指導する側が、今までの経験値から支援の方向性を決めるべきではありません。場面緘黙の方に関わる人はまず、当事者にとってどういうことが困難なのか、を知ろうとしてほしい」
今回の問題には続きがある。
実は、女性や両親があれほど望んだ「視線を遮るパーティションの設置」「体調面に配慮した弾力的な休憩時間の運用と更衣室での休憩」などについて、兵庫労働局が検討を試みたことがある。それは女性の最後の出勤から約10日後。しかも本省の内部調査が始まってからだ。
もちろん、彼女はもうおらず、「(女性の)チャレンジ雇用の中断及び退職やむなきに至るという重大な結果」(内部調査の報告書)を招いた後だった。
(10月14日追記)初出時、「女性の障害は、広汎性発達障害の一種とされる『場面緘黙(かんもく)症』」としていた部分を修正しました。