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©Franck Goddio/Hilti Foundation, photo: Christoph Gerigk

水中に眠る船、都市、集落―― 人類の営みをたどる「水中考古学」の世界

2018/11/29(木) 06:19 配信

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沈没船や水没した港町、集落――。世界各地の海や湖の底に沈む、そうした遺跡を調べると、タイムカプセルのように、当時の人々の暮らしぶりや新たな史実が分かる。それが「水中考古学」だ。水中の遺跡調査は研究者たちを魅了するとともに、国の海洋戦略としても重視されているという。なぜ、この分野が注目されているのか。専門家たちを訪ね、ロマンあふれる世界をのぞいた。(文・写真:伊澤理江/Yahoo!ニュース 特集編集部)

沈没船探査に憧れ 世界各地で潜る

茨城県大洗町に住む水中考古学者の井上たかひこさん(75)は、30年前のトルコ沿岸の海底を今も忘れていない。

背負ったタンクの重さに身を任せ、仰向けで母船の底を見上げながら海底へと沈んでいく。地中海独特の黄緑色の海水。それが徐々に紺碧に変わり、ほの暗くなった。右手で鼻をつまんで耳抜きをする。怖さで顔が引きつる。

水深30メートルほどまで潜ったとき、海底が見えるように体を反転させ、おなかを下向きにした。飛行機のように両手を広げ、海底を見下ろす。

すると、ついに沈没船の遺構が見えた。

井上たかひこさん。著書『水中考古学』(中公新書)で、世界中の沈没船などについて詳しく紹介している(撮影:伊澤理江)

「言葉にできないんです。高揚感で。心と体が宙に舞い上がったような……」

トルコ南部のウル・ブルン岬。その入り江に沈んでいた船は、学術調査によって、およそ3400年前のものだと判明した。古代エジプトの王ツタンカーメンのもとに向かって航海していたという推測のほか、船の航路については諸説ある。

井上さんは水深50メートルまで潜り、海の底に立った。周囲の暗さが増す。見上げると、マンタのつがいが白い腹を見せながら横切り、暗闇に消えた。足ひれを外し、浮力でふわふわとした感覚を楽しみながら、白い細かな砂地を裸足で歩いた。

井上さんなどの話によると、海底には、女神をあしらった黄金のペンダントなどの貴金属類、茶褐色の大小の壺や350枚もの銅の地金などが散乱していた。

「いつか難破船を探してみたい」――。子どものころから抱いていたおぼろげな夢。それを実現させるため、井上さんは40代で勤務先を辞め、世界的な水中考古学者であるジョージ・バス博士のもとで学ぶために渡米した。国際研究チームの一員として初めてウル・ブルン潜水調査活動に参加し、夢を実現させたのである。

幕末に活躍の沈没船、千葉沖で見つかる

ウル・ブルンに沈んでいた船だけではない。世界の海にはさまざまな時代の船や都市も眠る。人類の営みの痕跡は、あちこちの水底に残っている。

海に囲まれた日本も例外ではない。例えば、江戸幕府の軍艦「開陽丸」は1974年に北海道の江差(えさし)港で見つかった。鎌倉時代の「元寇船」は2011年に長崎県の鷹島(たかしま)沖で発見。静岡県熱海市沖の初島周辺などでは、現在も沈没船の潜水調査が続いている。

東京海洋大学の研究チームによる静岡県・初島沖の調査。水中ロボットを使っている(提供:東京海洋大学)

初島沖の調査では沈没船から徳川家の家紋の「三葉葵(みつばあおい)」を彫り込んだ鬼瓦が発見された(提供:東京海洋大学)

沈没船はどうやって見つけるのか。

実は、75歳の井上さんは今も潜水調査を続けている。場所は千葉県勝浦市の川津沖。江戸時代に来航した「ハーマン号」が対象である。船はいくつもの偶然が重なって発見されたという。

井上さんが振り返る。

「『ヘイ、タカ! 日本に蒸気船が沈んでいるよ』と米国留学中にルームメートから言われたんです」

彼が読んでいた書籍『米国の蒸気船』には、幕末から明治維新にかけて日本近海で活躍した蒸気船「ハーマン号」のことが記されていた。1869年に横浜を出港後、暗礁に乗り上げ沈没したという。詳しい場所は触れられていない。

その先を井上さんは自分で調べた。

遭難当時の米紙「ニューヨーク・タイムズ」を見ると、沈没場所は横浜港から75マイル(約140キロ)離れた「Kawatzu」だと書いてある。日本語では「カワツ」または「カワヅ」だ。伊豆半島にある静岡県の「河津」では距離が遠すぎる。頭を抱えているとき、船会社に勤める弟から、千葉県勝浦市にも発音の同じ地名「川津(カワヅ)」があると教えてもらった。

井上さんは勝浦市の図書館に足を運ぶ。

ハーマン号沈没の様子を描いた絵巻物。生還した熊本藩士の子孫宅で2010年に見つかった(所蔵・提供:里美裕子さん)

「司書の方に、明治の初めころに沈んだ難破船を調べていると伝えると、『この近くに川津という漁港があり、昔、その近くでアメリカ船が沈んだというウワサを聞いたことがある』と返ってきて……。すぐに漁協に話を聞きに行ったんです。こういう情報は地元漁師が一番詳しい」

60代の海士(あま)頭に会った。赤銅色に日焼けしているのは、付近の海にいつも潜り、誰よりも海の底を知っている証しだ。

海士頭は、節くれだった指で漁場の絵図面を指しながら、こう言ったという。

「海底に、太い鉄の棒のようなものが何本も突き出ている箇所がある。漁の邪魔なんだ」

その瞬間、井上さんはハーマン号に違いないと確信した。

実際に海域を調査したのは、1998年の8月。3メートル超の海藻が密生する海中で、太い金属棒が突き出ているのを井上さんらは発見した。赤茶色に錆びている。ハーマン号の残骸の一部だった。

ハーマン号は、戊辰戦争のころに新政府軍が横浜で借り上げ、熊本藩士と米国人船員を乗せて津軽藩の援護に向かう途中、勝浦沖で沈没し、そのままになっていた。つまり、海の底には「幕末」「明治維新」がある。

ハーマン号から見つかったぶどう酒の瓶。未開栓のままコルクが残されている。このほかにも、英国製の陶磁器の皿や熊本藩士が使っていたと思われる土瓶、蕎麦猪口(そばちょこ)などが見つかっている(撮影:伊澤理江)

「海底のタイムカプセル」

海底に眠る遺跡の調査。それには、どんな意味があるのだろうか。10月下旬、東京海洋大学海洋工学部の岩淵聡文教授(57)の研究室を訪ねた。

東京海洋大学の岩淵聡文教授(撮影:伊澤理江)

岩淵教授は、韓国語の分厚い記録集を本棚から出してきた。

「東アジア最大の発見が韓国の『新安沈没船』です。貿易船でこんな完璧な状態で積み荷が出てきたことはなかった。当時の生活が手に取るように分かる。海からタイムカプセルが出てくるようなものなんですよ」

この沈没船は1976年、韓国南西部の新安沖で見つかった。14世紀の中国の貿易船だ。陶磁器約2万点のほか、銅銭、将棋の駒、サイコロなども見つかった。

「すごかったのは、文書(もんじょ)が見つかったことです。例えば、京都の『東福寺』の木簡。荷札です。東福寺が注文した荷物だということが分かる。鎌倉時代、当時の元と日本はけんかばかりしていたように思うけど、中国と貿易が再開されていたんですよ」

この木簡が見つかったことで、新安沈没船は日本を目的地の一つとしていたことも判明した。当時の東アジア交易の広がり。その実態を解明する大きな手掛かりだった。

岩淵教授によると、通常、海の中では、木造の船体はフナクイムシに食べられてしまい、ほとんど形を残さない。新安沈没船の場合、早い段階で砂泥に埋まったため、保存状態も良かった。当時の船の構造を知る上でも重要な発見だった。

東福寺の木簡。新安沈没船の報告書から(撮影:伊澤理江)

岩淵教授は言う。

「素晴らしい歴史的な発見でしたから、それを機に韓国では国立研究所ができて、水中考古学が一気に発展しました。日本には世論が盛り上がるような大発見がまだない。元寇船が発見されて一時騒がれたけれど、軍船だから(当時の暮らしぶりが分かるような物は)新安沈没船に比べると多くは見つかっていません」

「都市ごと集落ごと」水の底に

水中には「都市」もある。

エジプトのアレクサンドリアは、5世紀に起きた大地震により一部が水没した。世界を驚かせた発見は1996年だった。フランス人水中考古学者のフランク・ゴディオ氏率いる「欧州海洋考古学研究所(IEASM)」のチームが、スフィンクス像や古代エジプトの女王・クレオパトラの宮殿など数々の遺跡を発見したのである。

エジプトのアレクサンドリアで、海中に沈んだスフィンクス像と向き合うフランク・ゴディオ氏  ©Franck Goddio/Hilti Foundation, photo: Jérôme Delafosse

「海底都市」は中米ジャマイカの海辺の街、ポート・ロイヤルにもある。

300年以上前の1692年、巨大地震と津波で海底に沈んだ。その面積は14万平方メートル。街の3分の2に及んだ。

厚い砂泥に覆われており、表面からその全貌を見ることはできないが、レンガ造りの廃墟の街並みが今も続いている。過去にこの調査に参加した前出の井上さんによれば、壁や床は巨大地震で大きく崩れ落ち、歪んでいたという。

海底に沈んだ「ポート・ロイヤル」。水深4メートルほどの地点に「街」がある(提供:井上たかひこさん)

海底で発見されたものの中に、銀製の懐中時計があった。文字盤の針は失われていたが、X線検査によって針の痕跡を確認。「11時43分」に時計が止まったことが見えてきた。

日本でも海沿いの地域を中心に「水没集落」に関する伝承は数多くある。

例えば、高知県の土佐湾沿岸では、漁師たちが「海底に井戸が見える」「家並みが沈んでいる」と言い伝えてきた。日本書紀には、684年の白鳳地震で「土佐国」の「黒田郡(くろだごおり)」が沈んだと記されており、これと関連付けて考える人たちもいる。

しかし、そうした伝承のほとんどは学術的に調査されてこなかった。数少ない例外は海ではなく、滋賀県の琵琶湖の調査である。湖は淡水のため、木材を食べるフナクイムシがおらず、遺跡が残りやすい。

古文書の記録によると、琵琶湖周辺には数々の言い伝えが残っている。「かつて西浜村と呼ばれる集落が存在したが、ある時大地震によって湖底に没してしまった」などといったものだ。

伝承が事実かどうかを潜水調査を始めとした学術調査により実証していく――。滋賀県立大学の調査チームは実際にそれに取り組み、「西浜千軒遺跡」「下坂浜千軒遺跡」といった水没村伝承の遺跡調査を手がけた。

そのメンバーだった中川永(ひさし)さん(30)は、同大学在学中から調査を続けている。湖底遺跡の潜水調査を行う数少ない研究者で、現在は学芸員として愛知県の豊橋市文化財センターに勤めている。

琵琶湖の水中遺跡を調査してきた中川永さん(撮影:伊澤理江)

湖底の集落を調査して、どんなことが分かるのか。

「過去の地震の記録はあるんです。でも古文書は主に偉い人の歴史。一般の人の生活は記録に残っていませんが、そうしたことを解明できるのが水中考古学です。例えば、昔の湖岸線は、今よりもさらに200メートル以上沖まで陸地になっていて、そこにあった集落は地震の液状化現象で沈んでしまいました。そういったことが分かるんです」

中川さんはさらに続けた。

「(過去に起きたものと同規模の地震によって)同じだけの地盤沈下が起きたら、駅や道路も水没しかねません。湖底の遺跡が教えるそうした事実は、既存のインフラを前提とした防災対策のままでいいのかどうか、それを考えるきっかけにもなります」

防災対策の観点でも水中考古学は重要な意味を持つ、というわけだ。それでも水中の調査は進んでいない。

「研究者がいない。国の研究機関がない。資金がない。それらが理由です。僕が大学院の修士課程のころ、琵琶湖の調査も自費でやっていました。生活費を節約するため、食事はお米だけを買って、あとはタンポポやオオバコ、セリ、アケビなどを採って食べていました。タンポポをスクランブルエッグにしたり……。フナも捕って食べました」

琵琶湖。この底にいくつもの集落の痕跡がある(写真:田口郁明/アフロ)

海底の遺跡、国際政治の駆け引きにも

研究資金以外にも日本の水中考古学には多くの課題がある、と前出の岩淵教授は語る。

一つは、国内法整備の問題だ。文化財保護法とその関連法によると、各地の遺跡については自治体の教育委員会が責任を持つ。ところが海岸法の規定によると、自治体は海岸線から50メートル以内の水域しか管轄しないことになっている。それよりも遠くの海底遺跡については、調査権限者が明確になっていない。

水中遺跡の情報を集めるシステムも十分に整っていないという。前出のハーマン号についても、発見の大きな手掛かりが地元漁師の話だったように、日本では断片的な情報が各地で埋もれたままになっている。

岩淵教授は続ける。

「日本には、水中考古学を専門に学べる大学がほとんどなく、国立の研究機関はありません。研究者も数えるほどしかいません。研究者が増えないから学問としても発展しない。法的・行政的な対応も不十分。だから、水中文化遺産は人知れず失われていくんです」

岩淵教授は、ユネスコの「水中文化遺産保護条約」の重要性を強調する。日本は未批准(撮影:伊澤理江)

「それだけではありません。今や水中文化遺産は国家戦略にも使われています。例えば、中国は巨費を投じて研究者や研究機関を整え、周辺海域で熱心に調査を続けている。何か遺跡が見つかれば、その海域は中国由来のものだなどと主張する意図もあるでしょう」

「各国が海洋戦略において文化資源を重視するのは、なぜだと思いますか。その海域にどれだけ権利があるのかを歴史的・文化的に証明する唯一のものだから、です。日本人と海との関係を考古学的・歴史的に明らかにする……。どうして日本が旗を振って研究しないのか、そこが一番の問題なんですよ」

約2400年前のギリシャ商船。昨年、黒海で発見された (提供:Black Sea MAP/EEF Expeditions)

上下=アレクサンドリアで海底遺跡を調査する水中考古学者のフランク・ゴディオ氏らのチーム(www.franckgoddio.org) ©Franck Goddio/Hilti Foundation, photo: Christoph Gerigk


伊澤理江(いざわ・りえ)
ジャーナリスト。新聞社、外資系PR会社などを経てフリー。英国ウェストミンスター大学大学院(ジャーナリズム専攻)で修士号。


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