「幸せの国」として知られるヒマラヤの小国ブータンから、日本へ留学する若者が急増している。彼らは日本語を学びながら、食品工場や物流倉庫、新聞配達など一般市民の目の届きにくい職場で就労し、人手不足に苦しむ日本社会を支えている。なぜ日本に来て、厳しい環境の下で働くのだろうか。彼らを送り出すブータン本国、そして受け入れる日本の語学学校と労働現場を取材した。(文・写真:田川基成/映像制作:岸田浩和/Yahoo!ニュース 特集編集部)
朝刊を配るのはブータン人女子留学生
千葉県松戸市の県道沿い、午前1時。走る車もまばらになってきた頃、読売新聞販売店のYC稔台店に2トントラックが横付けされた。店から人々が出てきて、朝刊の束を荷台から次々と運び出す。
その中に、日焼けした小柄な外国人女性がいた。チョキ・ワンモさん(24)。ブータンの出身だ。今年6月に来日し、新聞奨学生としてここで働いている。新聞奨学生は一定期間の学費などを新聞社や販売店側に負担してもらう一方、その間は配達などに従事する仕組みで、かつては日本の「苦学生」が主役だった。
刷られたばかりの新聞の、インクの香りが漂う店内。ワンモさんは慣れた手付きで朝刊にチラシを折り込んでいく。午前1時40分、配達する新聞の束を50ccバイクの荷台に載せ、エンジンをスタートさせた。
バイクは狭い住宅街を回っていく。彼女の担当は約330部。購読者の家の近くで止まると、ワンモさんは郵便受けに朝刊を入れ、小走りで戻って再びバイクにまたがる。表札の漢字はほとんど読めないが、先輩と何度も同じルートを回り、配達先を体で覚えた。夏の盛り。深夜とはいえ、額には汗がにじんだ。
2時間ほどで朝の配達を終え、ワンモさんは店に戻った。時刻は午前3時半。8時過ぎに語学学校に向かうので、それまでは自宅に戻って仮眠するという。
流ちょうな英語で話してくれた。
「バイクの運転も忙しい仕事も大丈夫。日本語はまだあまり分からないけど、先輩が丁寧に教えてくれるから心配ないです。だけど、日本の暑さだけは慣れなくて。ブータンは涼しい国だからね」
実はこの3カ月ほど前、取材でブータンを訪れた際、ワンモさんと会っていた。民族衣装「キラ」を身に着け、表情はあどけなかった。その容姿からは想像できないほど、新聞販売店で働く彼女はたくましい。
ワンモさんは、松戸市で13の新聞販売店を経営する株式会社「椎名」に雇用されている。ブータン人4人、フィリピン人7人。全部で11人の外国人奨学生が在籍する。いまや、外国人が新聞配達を担うのは都市部では珍しくない。
YC稔台店の店長、片桐芳明さん(41)はこう話す。
「労働人口がだんだん減って、将来は外国人と一緒に働くのが当たり前になると思います。新聞奨学生も、日本人の応募はかなり少なくなりました。そうした時代を見越して、外国人の奨学生を積極的に採用しています」
ワンモさんが通う語学学校の年間75万円の学費は、「椎名」が全額負担する。勤務は1日約4時間、週6日。給与は月約10万円だ。ブータン人の奨学生が3人で暮らす3LDKのアパート代も負担し、管理費として月3000円のみを彼らから受け取っているという。
ワンモさんが通う日本語学校は松戸市内にある。授業は朝9時から午後1時まで。午後2時からは1時間ほどの夕刊配達がある。夕刊作業を終えて帰宅すると、宿題や夕食の準備。朝刊に備えて夜9時頃には就寝するという。
忙しい毎日だ。それでも、留学生の週28時間労働制限の中でアルバイトし、自費でアパートを借りる学生もいるなか、「貴重なチャンスをもらっています」とワンモさんは言う。
留学期間は2年間の予定だ。
「学校を卒業したらブータンに帰るかもしれないし、日本でもっと働くかも……。まだ分からないです。今は日本語をしっかり勉強して、日本人の働き方を学び、自立してお金を稼ぎたい。そしてブータンにいる両親を助けられるようになりたいです」
急増する日本への「留学生」
法務省の在留外国人統計によると、2017年末現在の外国人留学生数は同年中に30万人を突破し、31万1000人を超えた。日本政府の「留学生30万人計画」が掲げた「2020年に留学生30万人」は、目標より3年早く達成された格好だ。国籍別では、約12万4000人の中国人が4割を占め、最も多い。
増加は特に2013年から著しく、過去5年間は年約11%増のペースになる。この間に増えた約12万人を見ると、ベトナムとネパールの2カ国で計約7万人。彼らの大部分は日本語学校と専門学校への留学生とみられる。
一方、日本学生支援機構の調査によると、日本語学校の在籍者は2017年5月1日時点で7万8000人を超えている。ワンモさんのようなブータンからの留学生の増加もこうした大波の中にある。
かつて、ブータンから日本への留学生は多くても「年間で10 人くらい」と言われていたが、ブータン政府が2017年に「Learn and Earn」プログラムを始めてから、事情は大きく変わった。文字通り「学びながら働く」ことを支援する仕組みで、ブータン政府が留学費用を貸し付ける。そうした結果、ブータンからは18年4月時点で、738人が留学生として日本に来た。人口80万の小国としては少ない数ではない。
日本はインドに次ぐブータンの援助国であり、この50年間ほどの間に多くの日本人が現地で、農業やインフラの整備を支援してきた歴史もある。ブータン国民の日本への好感度は高く、若者の留学先としての人気も高いのだ。
では、ブータン人留学生は日本でどんな生活を送っているのだろうか。それをさらに知るため、九州・福岡市の日本語学校に足を延ばしてみた。
「留学生の街・福岡」で
福岡外語専門学校はJR博多駅のひと駅隣、吉塚駅の近くにある。教室をのぞくと、先生が「きのうはなにをしましたか?」という質問を投げ掛けていた。
「きのうはおさけをのみました」
その答えにどっと笑いが起きた。
この学校では37カ国の学生が学んでいる。ブータン人も31人。在留外国人統計などから算出した人口10万人当たりの留学生数(日本語学校や専門学校を含む)は、東京都に次いで福岡県が多く、語学学校が林立する福岡市は「留学生の街」となっている。
同校国際交流センター主任の廣松雪子さん(53)は言う。
「ブータン人の学生は来日してまだ1年未満で、日本語初級のコースで学んでいます。授業は午前と午後の2部制なので、ほとんどの学生は早朝か、放課後に働いています。日本語のやりとりがまだ難しいので、アルバイト先は工場などで単純労働が多いですね」
校内の掲示板にはアルバイト求人広告が並んでいた。「ホテルのフロントスタッフ、敬語できる方、英語できる方、時給1000円」「食品工場、日本語あまりできなくても大丈夫です。時給800円」……。
福岡では、日本語を自在に話せれば時給1000円、話せない場合は800円が目安とされ、賃金に2割ほどの差がつく。
弁当工場 「多国籍」の現場で
ウゲン・ドルジさん(24)はこの4月、ブータンから来たばかりだ。福岡外語専門学校で日本語を学びつつ、食品工場でアルバイトしている。英語は話せるが、日本語での長い会話はまだ難しい。
「自分の稼いだお金で生活できるようになりたい。ブータンでは両親に頼って生活していたから。それと、僕も日本人のように時間をしっかりと管理できるようになりたい」
朝5時40分、ドルジさんが暮らすワンルームマンションを訪ねた。6畳ユニットバスに2段ベッド、勉強机しかない。ベッドの下段では、同じ学校に通うバングラデシュ人が寝息をたてていた。家賃は光熱費込みで1人3万円だという。
軽い朝食を済ませると、ドルジさんは同じマンションに住む4人のブータン人学生とともに自転車で駅に向かった。食品工場まで電車で45分ほどかかる。アルバイトの始業は午前7時だ。
ドルジさんが働くファウンテン・デリ株式会社は、セブン-イレブン向けの弁当やおにぎりなどの製造を手掛けている。
「きょうは、まず弁当箱にライスを量って入れて、次にパスタと、ガーリックチキンを入れる仕事です。集中力を保てるように、数十分ごとに持ち場を替わります」
徹底した衛生チェックのあと、ドルジさんはラインにつき、ゆっくりと流れてくる弁当箱を前に黙々と作業をこなした。従業員たちに会話はほとんどない。白衣の名前を見ると、日本人と外国人が入り交じって働いていることが分かる。
同社の生産管理部・課長の下川潤さん(43)はこう話す。
「弊社では日本人250人と、外国人200人を雇用しています。外国人は多い順にネパール人、技能実習生の中国人、ベトナム人。ブータン人は8人です」
パート・アルバイトの求人を出しても、日本人からはほぼ反応がない。そのため、日本人よりも留学生と技能実習生の採用を重視しているという。
「3、4年前までは、語学学校から留学生を採用してくださいと頼まれていました。2年ほど前から極端に状況が変わり、今はこっちが学校にお願いする立場です。外国人労働者がいないと、労務倒産してしまう可能性もある。そういう危機感を常に持っています」
この工場では、働く外国人を管理するのも外国人だ。ラマ・サントスさん(26)は、ネパール出身の元留学生。ここで働いた経験があり、後に正社員として採用された。ブータン人学生とはネパール語や英語で意思疎通を図っているという。
サントスさんは、上手な日本語で取材に応じてくれた。
「来日直後の学生は、日本の文化を知らないので、特に気をつけています。例えば、大きな声であいさつをする、遅刻しないこと、とかですね。彼らの母国では、日本のような厳しい衛生基準はないので、そこもきちんと指導しています」
来日して半年にも満たないドルジさんは、日本での生活や労働をどう感じているのだろうか。
「僕はまだ日本語が話せないので、今のところ工場の仕事に満足しています。日本でつらいのは、とにかく睡眠時間が短いことかな。夜は学校の宿題もたくさんあるから眠れなくて……。将来は、日本語をもっと話せるようになって、なにかクリエイティブな仕事がしたいです」
ドルジさんの時給は780円。週に28時間働いて2万1840円、1カ月で約9万円。家賃が安いので、生活はなんとか成り立っているという。
「学んで、稼ぐ」 ブータン政府による送り出し
ワンモさんやドルジさんの母国、ブータン。若者たちは、何を考えて日本へ次々とやってくるのだろう。彼らの出国前の様子を知るために、ブータンを訪ねた。
首都ティンプーにある「ブータン日本語学校(BCJS)」は、ブータン最大の日本語学校だ。ブータン政府による日本向けの「Learn and Earn」プログラム。これを利用する学生のほとんどはBCJSの出身だ。ワンモさんもドルジさんも、ここで学んでから日本へ来た。
校長は青木薫さん(59)。ブータン人と結婚して移住し、2011年に同校を設立した。
「学生は4カ月ほど勉強して日本へ旅立ちます。留学前に、ひらがなとカタカナの読み書き、基本的なあいさつや日常会話、108字ほどの漢字を教えています」
「農村社会のブータンでは、産業がほとんど発展していません。田舎でのんびりと育った子が多く、国際的なビジネスの常識もない。そういう子たちに、日本の技術や日本人の働く姿勢を学んできてほしい、と。それがブータン政府の目的です」
日本行きを控えた学生の一人、ジャンチュ・ロデさん(23)は英語で質問に答えてくれた。
「家族から離れて一人になるのは不安だけど、いろんな経験を積みたい。技術の発展した日本でエンジニアリングを学んで、将来ブータンで起業するのが目標です」
同校で教える石井愛さん(38)はこう付け加える。
「日本ではお金があれば何でも買える。電気も水も止まらない。そんな豊かな生活を自分たちもしてみたいと、学生たちは願っているんです」
ブータン政府の「Learn and Earn」プログラムでは、留学する学生に年3〜4%の金利で教育資金を貸し出す。多くの学生は70万ニュルタム(約105万円)ほどを留学費用として借り、来日する。大卒公務員の初任給が2万ニュルタム(約3万円)程度のブータンでは大金だ。
夢は本当にかなうのか
もちろん、ブータン人留学生の全員が順調に日本で暮らしているわけではない。悲鳴を上げる留学生もいる。2017年10月に来日した24歳の男性、ソナムさん(仮名)もその一人だ。今は千葉県に住んでいる。
ソナムさんは言う。
「(ブータン政府の)教育ローンを借りて、(そのお金で)ネパール系のブローカーに日本円で100万円ほどを支払いました。航空券とビザ申請代、語学学校の初年度授業料、日本の家賃前払い6カ月分などです」
来日と同時に、月2万円ほどのローン返済がスタートした。ブローカーに斡旋された千葉市・幕張の食品工場で週3〜4日働き、返済分と生活費を稼いでいる。職場の9割は外国人で、日本語を上達させるチャンスはほとんどないという。
「ブローカーには『日本語が話せないと、他の仕事はない』と言われています。月に何度か夜勤もあり、翌日の午前中に学校に通うのはきつい」
時給は1200円。週に28時間の労働で、月に最大で13万円ほどの収入しかない。3人でシェアする2LDKの家賃は光熱費込みで1人約3万円。次年度の学費約68万円を払うための貯金も必要で、日々の生活は逼迫している。
「週28時間労働を守っていたら生活できません。もし今、ブータンに帰ったらローンだけが残り、日本にいたらずっとこの生活。どっちもつらい」
「異文化理解、それに尽きます」
日本はすでに、外国人労働者の存在なしには成り立たない社会になっている。新聞の配達も、コンビニの弁当製造も、外国人たちが支えている。日本政府は外国人労働者のさらなる拡大を視野に入れて政策を立案しており、この傾向が止まることはないだろう。
では、その接点にいる私たちは何から考え始めればいいのだろうか。福岡外語専門学校の廣松さんはこう話す。
「母国でも働いた経験すらない学生が、文化の違う日本へ来て、厳しい環境で学び、アルバイトする。かなりの負荷です。受け入れる私たちは、そうした状況を理解したうえで、しっかりサポートする必要があります」
実は当初、同校ではブータン人学生の評判があまりよくなかったという。「仲間で固まりがちだし、進んであいさつもあまりしない。遅刻もとても多かった」からだ。しかし、教職員たちがブータンを訪れ、現地の文化を知るようになると考えが変わってきた。
「ブータンでは、目上の人に向かって自分から発話するのが、失礼に当たるということを知りました。だから、先にあいさつしない。仲間で固まるのは、助け合い精神がしっかりと残っているから。異文化理解に尽きると思います。相手を評価する前に、大切なのはお互いの文化を知ることでした。そこから歩み寄る気持ちが生まれる。それをブータンの留学生に教えてもらいました」
福岡市で留学生の支援業務を手掛けるKYODAI社のデブコタ・ディパクさん(37)は、こう振り返る。ネパールの出身だ。
「私も2004年に来日した元留学生です。当時は、コンビニの面接で『日本語能力試験1級を持っていますか』と聞かれました。外国人は要らないよ、という感じで。今じゃあり得ないですね。最近は、日常会話がある程度できれば、接客業でもすぐに採用されるようになりました」
日本人と日本に根付く外国人。その間で社会を分断させないために、何が必要だろうか。
デブコタさんはこう言った。
「日本語をしっかり話せる外国人が、もっと働けるようにするべきです。言葉が分かれば、お互いの心が通じ合うから。特に日本は中小企業の人材の穴埋めができていません。日本語を習得した留学生を積極的に採用すべきではないでしょうか」
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田川基成(たがわ・もとなり)
写真家。移民や文化の変遷、宗教などを主題に作品を撮る。ムスリム移民家族の「ジャシム一家」や、長崎の海とキリシタン文化、日本のベトナム難民、北海道などが主なテーマ。北海道大学農学部を卒業後、東京で編集者・業界紙記者を経て2014年に独立。長崎県の離島出身。1985年生まれ。
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岸田浩和(きしだ・ひろかず)
ドキュメンタリー監督、映像記者。光学メーカー勤務、ライターを経て、株式会社ドキュメンタリー4を設立。Webニュースメディア向けの映像取材や短編ドキュメンタリーを制作している。シネマカメラを用いた小チーム取材が特徴。近作の「SAKURADA Zen Chef」は、米の「ニューヨークフード映画祭 2016」で最優秀短編賞と観客賞を受賞した。関西学院大学、東京都市大学、大阪国際メディア図書館で映像とジャーナリズム領域の講師を務める。
[文・写真]田川基成
[映像制作]岸田浩和
写真監修:リマインダーズ・プロジェクト
後藤勝